和洋会で買った『演芸画報』で明治製菓資料を発見する。『新演芸』のレート化粧品。


 六本木で鏑木清方展を見て、あちらこちらを歩いて、夕方から雨が本降りになって、イソイソと帰宅。夕食の支度の合間に、本日の古書展で買ったばかりの演劇雑誌を繰って、ホクホク。そして、さっそく昭和12年3月の『演芸画報』を眺めて、ワオ! と狂喜する。この号は、先月まで演博で開催していた新派展に予想外の刺激を受けて、余波がまだまだ続いている真っ最中なので、「新派五十年祭に際して」という特集目当てで買ったのだけれども、冒頭のグラビアでさっそく大興奮!

 と、これは、歌舞伎座の二月興行「新派創立五十年祭記念狂言」、久保田万太郎『ふり出した雪』、喜多村緑郎のおすみと柳永二郎の柳太郎。背景の棚に積んである小道具の箱がどれもこれも明治製菓の製品(チョコレートやらキャラメルやら)なのが見てとれて、これは明らかに明治製菓のタイアップなのだった。戦前の明治製菓宣伝部にまつわるあれこれを追っている身にとっては、新たな資料発見にとにもかくにも狂喜乱舞であった。

 広告といえば、同じく本日の古書展で購った、大正5年12月の『新演芸』ではさっそく、レート化粧品の広告の挿絵が明らかに渡辺文子なので、ワオ! だった。

 ミツワ石鹸の丸見屋商店をはじめとする、明治大正戦前昭和の小間物業界の広告ばなしを緩慢に追うようになって1年余り。その一環で、レート化粧品の平尾賛平商店の広告部における渡辺文子に前々から興味津々、渡辺文子の平尾賛平商店在籍は大正4年から8年までのほんの一時期だけれども、『新演芸』が創刊された大正5年はまさにそのまっただなかの時期なのだなあと、しみじみ。そうこうしているうちに、明治大正戦前昭和の小間物業界といえば伊東胡蝶園は見逃せぬと、『新演芸』の裏表紙の御園白粉の広告を眺めるのだった。前々から気になりつつも追究することなく今日にいたっている、玄文社のことを追わねばならぬと、『新演芸』片手にメラメラと思う。

 というようなことを抜きにしても、昔の演劇雑誌はグラビアを眺めるだけでも、とりわけ『新演芸』のグラビアは何度眺めても眼に愉しい。大正5年11月、市村座の『花川戸噂の俎板』なる舞台の中央に、俎板に乗った子役が写っている。吉右衛門末弟、中村米吉の初舞台とある。うーむ、これが後年の勘三郎かあと思う。大正5年、三宅周太郎は三田の文科で水木京太とふたりきりで小山内薫の講義を聴いていた時期なのだなあ、三宅周太郎はここに掲載の芝居をあらかた見物しているのだろうなあ、などといろいろなことをとめどなく思って、時間がどんどん過ぎてゆくのだった。