国立劇場で『頼朝の死』、『一休禅師』、『修禅寺物語』を見て、新井旅館のお菓子を買う。


 目が覚めると、昨日の夕刻から夜中までザアザア降っていた雨がすっかりあがっていて、一面の青い青い空。機嫌よく、弁当をこしらえてから、毎週日曜日の朝のおたのしみ、NHK ラジオ「音楽の泉」を流しながら、朝食。本日はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲、皆川達夫さんはムターがお好きなようなので今日もムターかなと思ったら、案の定、ムターのレコードだった。手持ちのディスクと同じ音源なのに、ラジオで聴くと、また別の愉しさがあるなアと、「音楽の泉」を聴くたびにいつも思うことを今日も思いながら、バタバタと身支度してイソイソと外出。国立劇場に向かってテクテクと歩いてゆき、その途上のコーヒーショップでひと休み。読みさしの、岡田三郎『望郷』(大観堂、昭和17年11月刊)をグイグイと読む。岡田三郎は時局小説でも、その文章は軽やかで心地よい。

 さてさて、国立劇場は11時半開演、イソイソと外に出て、劇場へと向かう。国立劇場はずいぶんひさしぶり(いつぞやの合邦の通し以来、だと思う)。歌舞伎座とは一味違った、国立劇場ならではの芝居見物がわたしは好きだ。休日の朝、テクテクと閑散とした道を歩いてゆく途中でコーヒーを飲む時間が好きで、さらに上演資料集片手の芝居見物というのがいつもとてもたのしいのだった。と、ひさしぶりに国立劇場来訪にハイになったところで、無事に劇場にたどりついて、入口の売店で上演資料集800円をガバッと買って、3階の自分の席へと向かう、その途中、二階のロビーに寄り道。鏑木清方の野崎村の絵にひさしぶりに対面。昨日、鏑木清方展を見たばかりなので、なおのこと気持ちが盛り上がる。大正3年作で、前年9月の本郷座上演、お染は松蔦、母は秀調に取材、という説明書きをひさしぶりに見て、松蔦に思いを馳せたところで、本日の観劇と相成った。



 ひさしぶりの国立劇場、9月に刊行の戸板康二の『名優のごちそう』を機に、ひさしぶりに新歌舞伎、とりわけ真山青果にひとりで盛り上がっていたところで、今回の上演を知って狂喜乱舞だった。

 この写真は、昭和4年の7月と8月の歌舞伎座で上演された、真山青果『唐人お吉』における松蔦、『真山青果全集 別巻 2 真山青果戯曲上演舞台写真集』(講談社、1978年5月)より。人生何度目かのわが内なる青果ブームの起爆剤は、「脇役の名舞台」をはじめとする戸板さんのあちらこちらの文章で、真山青果の『唐人お吉』初演時の感激について、イキイキと語られているのを目の当たりにしたことだった。左団次が青果ものを営々と演じていた頃の、とくに昭和5年以降の、歌舞伎座の菊五郎の芝居と築地川を隔てた東京劇場における左団次、といったことを綴る戸板康二の文章が読んでいて嬉しくなるような幸福感。

 猿之助にしても、松蔦にしても、近年までいた寿海にしても、左団次という大きな星のそばにいることによって、個性をのばし、精彩を放った。一座のアンサンブルというものを、徳川時代のそれよりも一層強固に、端役までいきいきと働かせて確立した点ひとつを見ても、二代目左団次はしみじみ偉大だったと思うのである。

 と、この「歌舞伎この百年」の一節を思い浮かべながら、青果の戯曲を読むのがいつも快楽なのだった。上の写真の『唐人お吉』は、左団次のいない一座でおのおのの俳優が「精彩を放った」という点で例外的な舞台だったというような戸板さんの文章がウムなるほどという感じで面白かった。戦後、第一線の劇評家となったのち、贔屓にしていた門之介であるところの三代目松蔦による『唐人お吉』、昭和37年9月の東横ホールの所演をあたたかく見守る戸板さんの視線もいいなアと、昭和4年の『唐人お吉』の余波はなにかと尽きなかった。



 さてさて、肝心の芝居見物そのものも全編でたいそう満喫であった。『頼朝の死』は、第二場の富十郎と吉右衛門のセリフの応酬がとにかくもクーッと快感、ひとりで大興奮。青果大好きの心の持っていき場が見事にここに集約した! とでもいうような興奮に酔いしれる。真ん中の坪内逍遥の舞踊は、ぼんやりと舞台を眺めて、魁春が好きなので魁春の立ち姿を眺めるだけで嬉しく、そして富十郎の姿を見ていると、次第にいつかの歌舞伎座で見た同じく逍遥の『良寛と子守』のことを思い出して、ああ、あのときの舞台がなんだか妙に忘れられないんだなあなど、舞台を見ながら過去の舞台の追憶にひたって、いい気分だった。

 『頼朝の死』は真山青果大好きということで、期待どおりに満喫だったのだけれども、予想外に面白かったのは『修禅寺物語』。意外にも『修禅寺物語』を見るのは今日が初めてだった。脚本を読んだけではわからない、実際の舞台を見て初めてわかる面白さというものをビンビンと触覚して(勝手な思いこみだけれども)、そうか、これは家庭劇なのだなあと、まさしくイプセンそのものだなあと、岡本綺堂がこの脚本を書いたイプセン時代というものを、初めて触覚した気になって、これが今回の見物で一番おもしろかったこと。今はもうあまり読まれないような、イプセンの辛気臭い戯曲が結構好きなのだった(正宗白鳥好きにはたまらない)。

 『修禅寺物語』の最後の、桂の断末魔のところの芝雀の顔面が、名取春仙の役者絵を見ているかのようで、うーん、いいなあと視覚的に思いがけず堪能したところで、本日の芝居見物はおしまい。エイゼンシュテインが『修禅寺物語』における松蔦扮した瀕死の娘の演技が肩と首の動作に限られているのを見て、映画の大写しそのものだと感心した、という挿話を思い出して、うーん、もう一度みたいと思いながら、階段をくだって出口に向かう。

 ロビーの出店で、修善寺の新井旅館のお菓子が売っているのを見かける。綺堂云々よりも、新井旅館といえば大正10年に市村座を脱退した直後の吉右衛門が里見とんに初めて会った場所! ということをまっさきに思い出して、頭のなかは一気に三宅周太郎の『演劇五十年史』一色に染まり、嬉しくなって思わずお土産に買ってしまう(しかし、お菓子の名前は「幸四郎」)。芝居見物は思っていたとおりに、いやそれ以上に満喫だったし、お土産も買えたしで、余は満足じゃと、テクテクと家路をゆくその途上、またもやコーヒーショップに寄り道して、上演資料集を読みふけったあとで、読みさしの岡田三郎を読了。早くも日没、週末はいつもあっという間なのだった。