『演劇五十年』の合間に、宇野浩二の『恋愛合戦』を読んでいる。


 先週、久保栄の『小山内薫』をノートブック片手にランランと読みふけり、大正4年の三田における「古劇研究会」のところでひとまず中断、ふたたび戸板康二の『演劇五十年』に戻って、文藝協会と坪内逍遥の章から再開とあいなった。あらためて辿ってみると、逍遥と抱月のありよう、早稲田の演劇人もモクモクと面白い。大正2年7月に文藝協会が解散、翌月に小山内帰朝、ここで、大正期の第一次新劇ブーム、三宅周太郎が広津和郎の言葉をひいて「いい気なものが横行していた」と喝破していた時期になる。と、ここで戸板康二は、さらりと宇野浩二の『恋愛合戦』の書名を紹介しているのだった。このくだりを目の当たりにしたとたん、キャー! とシンと静まりかえる朝の喫茶店で一人で大はしゃぎだった(心のなかで)。

 澤田正二郎が藝術座第一次脱退後出演した「美術劇場」は元来、洋画家の鍋井克之、永瀬義郎が作家宇野浩二等と共に、思い立って作った素人劇団で、その名の通り、舞台美術即ち背景をかいて同時に舞台にも立って見ようという趣味的なグループであった。楠山正雄、河野桐谷が顧問、永瀬義郎が主事となり、大正二年三月(六日から三日間)渋谷福澤邸内の小劇場で行われた私演は素人ばかりが、ストリンドベリイの戯曲四つ「ユリイ嬢」「火あそび」「平和を失える人」「熱風」(いずれも楠山正雄訳)を演じたのであるが、その台本を役者の口述に従って筆記したのは宇野浩二であった。

 同年四月(二九日から五日間)藝術座を脱退した澤田正二郎、田中介二等が参加し、演技陣を確立して有楽座で第一回公演を行った。ハウプトマンの「平和祭」(楠山正雄訳)、秋田雨雀の「埋れた春」、田中介二の「博多小女郎波枕」であったが、非常な欠損で、これ限りあとがつづかなかった。そのくせ、客席は広範囲に招待券を撒いたために一杯だったという。

 この時「埋れた春」に出演していた少女は、佐藤春夫の「田園の憂鬱」の女主人公のモデルだった(宇野浩二・『文学の三十年』)という。ほかにこの劇団には、秋田雨雀、日夏耿之介、三上於菟吉、片岡鉄兵、高田保が関係している。宇野浩二の「恋愛合戦」は、美術劇場の経緯を材料にとったものである。

 去年の秋くらいから人生何度目かのわが内なる宇野浩二ブームが続いていて(年末は関西で宇野浩二散歩を満喫←現在「日用帳」執筆中……)、特に大正期の文章を強化すべく、図書館で全集をチビチビと借りだしては返却、ということを数回繰り返していた。『恋愛合戦』のことは、わが偏愛書、感想小品叢書の『文学的散歩』(大正13年6月7日発行)巻末広告の、

これは現代恋愛生活の鳥瞰図である。現代に於ける青年男女の性的生活の、極めて赤裸々な、而して最も精細な報告書である。妖艶な風姿と冷凄な心情とをもった一女優を中心として、文壇と劇壇とのいろいろの男が、その女の愛を獲ようとして争い合い鬩ぎ合う光景を赤裸々に描いたものである。本書一たび出づるや、各新聞は、巻中のモデルが悉く文壇と劇壇の知名の士であることを素ッ破抜いたので、読書界の噂さは、俄かに高まり、モデル問題囂々作者を困しめている。

というふうな紹介文を見て以来、ずっと気になっていた。そろそろ読みたいなと思っていた矢先だった。

 

 などと、前置きが長いのだったが、こうしてはいられないと週末、図書館へ『宇野浩二全集 第2巻』を借りに行き、週明けの朝の喫茶店にて読み始めたところ。宇野浩二の『恋愛合戦』の初出は、第一編が「改造」大正9年1~2月号、第二篇が『女優』というタイトルで「解放」大正9年9月号に掲載、第三遍が『恋愛三昧』というタイトルで「大阪毎日新聞」夕刊に大正10年6月18日から10月20日まで連載され、初刊の単行本は大正11年7月に新潮社より佐藤春夫の装幀で刊行された、とメモ。さっそく読み始めて、いかにも大正期の宇野浩二の文体にニヤニヤしながら、心のなかで小躍りしながら、ホクホクと読みふけって、今朝は「第一編」を読了。まだ三分の一くらい。今週いっぱいで読み終わるように配分したい。戸板康二『演劇五十年』と久保栄『小山内薫』は来週まで持ち越し。また寄り道してしまいそうだから、まだまだ時間がかかるかも。

 

宇野浩二『大阪』新風土記叢書1(小山書店、昭和11年4月4日初版)。装釘:長谷川りん二郎。戸板康二が『旅の衣は』の「大阪」の項で、三田在学中5年にわたって父の転勤で実家が阪神間の住吉に仮住まいしていたおりの「帰省」時を回想して、《宇野浩二が新風土記叢書に書きおろした「大阪」を手にしながら、油照りの街をさまよい歩いたこともあるし、同じく夏の夜文楽座の帰りに、小西来山のまねをして、四つ橋を四つ渡って涼んだ思い出も、なつかしい。》と書いているのを見て以来念願だったこの本を買ったのは、数年前。以来ずっととびきりのお気に入りの本。先月に届いたとある目録で、献呈署名本を買い足して(献呈先が見事なので、つい)、現在手元に2冊ある。松本八郎さんによると、『大阪』の再版には「補遺」が入っているとのことで(「日本古書通信」第919号・平成18年2月15日号掲載「書物のたたずまい(2))、こちらもいつの日か入手したい。

 ちなみに、戸板女子大学の図書館のサイトで検索すると、「戸板康二文庫」にこの本、しっかり所蔵されている。のみならず、小山書店の新風土記叢書全7冊、第1編:宇野浩二『大阪』(昭和11年4月)、第2編:佐藤春夫『熊野路』(昭和11年4月)、第3編:青野季吉『佐渡』(昭和17年11月)、第4編:田畑修一郎『出雲・石見』(昭和18年8月)、第5編:中村地平『日向』(昭和19年6月)、第6編:稲垣足穂『明石』(昭和23年4月)、第7編:太宰治『津軽』(昭和19年11月)、戸板さんはすべて架蔵していたのだった。お見事!