今年の洗亭忌は、宝塚見物。


2006年3月、東京宝塚劇場で見た星組公演『ベルサイユのばら フェルゼンとマリー・アントワネット編』が人生初の宝塚観劇だった。戸板さん考案の「ステファン人形」が登場しているのを目の当たりにして、戸板さんが終世親しんでいた宝塚歌劇と出会えた幸福にひたって以来3年間、東京宝塚劇場の全公演のうちの8割くらいは見ていた。SKD のファンだった野口冨士男が「レビューくさぐさ」という文章の末尾に、《その華麗さは夜空に打ち揚げられる花火のようなものである。瞬間に消えてしまう歓楽ほど、贅沢なものはない。》と書いていたのを思い出す。そうそう、そのとおり、それこそ打ち上げ花火のような、すぐ消えてしまってすぐに忘れてしまうけれども、その瞬間の快楽といったら! という感じに 、毎回それぞれに観劇を楽しんでいたものだった(と同時に突っ込みどころが多いのもたのしい)。

それが、去年2009年になって、にわかにわが宝塚見物は失速。興行形態が変わって、年10回各組2公演ずつになったことによって公演期間が短くいつのまにか見逃していたりとか、退団公演が多くてチケット入手は困難だろうとはなから諦めたりしているうちに、なんとなく足が遠のいてしまい、去年は全10公演のうち2公演出かけただけ、観劇頻度は8割から一気に2割へと逆転してしまったのだった。

そんなこんなで、2010年がやってきて、ひさしぶりに宝塚のチケットを入手! と実家の母から連絡が入って、狂喜乱舞。ひさしぶりの宝塚は大空祐飛・野々すみ花の宙組トップお披露目公演、『カサブランカ』だー! とよろこびのあまり、近所の書店で『カサブランカ』の500円の DVD(昔大好きだった『マルタの鷹』と二枚組で大喜び)を購入するという気合いの入れよう。頭のなかで宝塚の舞台を想像して、ここで踊りが入るのかなここで歌だなここで群舞だな、などと映画を見ながらニヤニヤしっぱなしだった。ついでに、昔好きだったピーター・ローレをひさしぶりに見られたのも嬉しかった。

そういう次第で、今年の戸板康二先生の命日「洗亭忌」は宝塚観劇ということになり、たいへんよろこばしい。帝国ホテルのとらやで好物の「湿粉製棹物」(二ヶ月ごとに種類が変わる。今回は「雪紅梅」)と煎茶で一服しつつ、風邪で寝込むことがなくてよかったッと歓喜にむせんだあとで、午後3時半開演の劇場の椅子に座る。そしてはじまった『カサブランカ』は、期待以上のすばらしさ! 突っ込みどころたっぷりかな、などと思っていたのだけど、いざ始まってみたら、とにかくも舞台そのものに感嘆だった。まずは小池修一郎の脚色がすばらしく、映画とほとんど同じ進行でありながらも、舞台芸術として巧みに練り上げられていて、宝塚のよいところをふんだんに引き出す演出が手だれであった。舞台装置が美しく、装置の転換のたびに感心することしきり、そして時折映像を交えた洗練された舞台が見事だった。そして、これぞ宝塚という感じの、踊って歌っての繰り返しがまばゆいばかりにすばらしい。たとえば、パリの回想シーンのところではフレンチカンカンが登場したりして、とにかくもまばゆいばかりにすばらしい。おお宝塚!

そして、主演コンビが磐石なのがなんといってもよかった。それから、主演の大空祐飛と二番手の蘭寿とむ、それぞれの「ダンディズム」のようなものが宝塚の男役芸のそれぞれの方向という感じで、うーむと唸る。トレンチコートとか歩き煙草とか帽子とか男役の様式美がいいぞー! と随所で興奮であった。のみならず、まわりを固める人たちもそれぞれに持ち味がいい感じ、さながら全盛期の東映時代劇を見ているかのような役者の層の厚さに、うーむと唸りっぱなし。ルノー大尉の人がうまいなあ、東映時代劇にたとえると大友柳太朗って感じだ、この人誰なのだろうと、思わず幕間に筋書きを立ち読みして、北翔海莉だったのかと遅ればせながら知ったりも。悪役の悠未ひろは東映時代劇にたとえると月形龍之介、実に味わい深い。などなど、名前はわからないけれども、いいぞいいぞという人が他にもたくさんいた。そして、涙が出るほど素晴らしかったのが、ピアニストのサム役の萬あきらさん。あとになって、今回で退団だと知って、がっくり。

などなど、ひさしぶりの宝塚を心ゆくまで堪能できて、嬉しかった。とにかくも今回の宙組の座組、いいぞいいぞと思った。主演の大空祐飛さんにはなるべく長く在籍していただいて(退団公演はチケットがとれないので)、この座組のほかの演目もこれからもっと見ていたいものだと思う。

宝塚を見るようになって、一番よかったのはなんといっても「レヴュー」とはどういうものかを初めて知ることができたこと。ラインダンスとか最後に大階段が登場して羽を背負ってパレードといった、めくるめく「レヴュー」の歓び。「レヴュー」を見る、それは絶好の「モダン都市」資料でもあるのだった。

たとえば、古川緑波著『喜劇三十年 あちゃらか人生』のなかの記述、小林一三に「今度、宝塚で、少女歌劇の他に、男性加入のレヴイウをやってみようという企画がある。それに加わってくれ」と誘われたあとで、白井鉄造作のレヴュー『ローズ・パリ』を見てロッパは思った、

 悪くないぞ。うん、悪くない。一番おしまい、フィナーレの舞台で、歌を歌いながら、舞台の正面に、かざった大きな階段を下りて来る時は、いい気持だろうなあ。そして、幕が下りる前、階段から下りきって、舞台のまん中で、なおも立って歌いつづけている。と、その時、天井から、ヒラヒラと、花のように、赤や青や黄の、小さな紙片が降って来る。その花吹雪を浴びながら歌っている。しずしずと幕が下りてくる。キラキラと、まばゆい光線[ライト]が当る。音楽は高潮、客席は拍手の波。
 うーん、悪くない、いい心持ちだろうなあ!

といった、こんな感じの記述も、宝塚のレビューを知ってから読んで、初めて本当に実感が湧いたような気がする。

 

古川緑波『喜劇三十年 あちゃらか人生』(アソカ書房、1956年1月15日発行)のカヴァー。鈴木信太郎描く1930年代浅草! この本は元パラが付いていて、その表面に本来帯に書いてあるような惹句が印刷されてある。


『あちゃらか人生』の本体もこんなにチャーミング! レヴュー!