文学座有志による自主企画公演「久保田万太郎の世界」第8回公演を見物して、龍岡晋をおもう。


先月、「みつわ会」の久保田万太郎上演の折に入手したチラシで、8回目の今回になって初めて、文学座有志による自主企画公演である「久保田万太郎の世界」のことを知った。いままでずっと見逃していたのはなんということ! と己の不明がたいへんもどかしいのだけれども、それはさておいて、文学座においてこのような試みが着実に続けられているという事実にジーンと感激、久保田万太郎愛読者にとってこんなに嬉しいことはない。今回晴れて存在を知ることができて、本当によかった。


と、こうしてはいられないと、チラシ入手と同時に手帳にメモして一ヶ月、本日が「久保田万太郎の世界」第8回公演初日。会場は、信濃町の文学座のアトリエ隣りの「新モリヤビル」。文学座アトリエの場所を訪れるのは、2002年1月に加藤武主演の『大寺学校』を見に行った日以来のこと。アトリエで『大寺学校』を見た当時は、久保田万太郎読みに夢中になったばかりの頃で、夢中になったばかりというタイミングでアトリエで公演を見る運びとなって、あの日の感激は今でもとてもよい想い出になっている。あの場所を再訪したいと思いつつも今までずっと機会を逸していた。信濃町の文学座でこれからも、たまにでも久保田万太郎を見たいと願っていたので、とにかくもこんなに嬉しいことはない。


というわけで、先週の宝塚に引き続いて、今週も水曜日の日没後は芝居見物。夕刻、一目散に外に出て、丸ノ内線に乗りこんで、四谷三丁目で下車。四谷三丁目のドトールの2階から見る靖国通りの眺めが好きだ。ここで一服するのもたのしみにしていたのだと、文学座を前にコーヒーを飲んで上機嫌。そして、午後7時前、文学座へ。古色蒼然とした文学座アトリエの隣りに真新しい新モリヤビルがそびえたっている。文学座アトリエはわたしのなかではまさしく「重要文化財」。文学座アトリエよ、永遠なれと心から願うのだった。



そんなこんなで、数年ぶりに信濃町の文学座の地で見る久保田万太郎の芝居。文学座によって演じられる久保田万太郎、というだけで胸がいっぱいで、もう無条件に嬉しいのだったが、実際の上演を目の当たりにしてみたら、さらに満喫。いつも活字だけで追っている「久保田万太郎の世界」は活字だけでも素晴らしいのだけれど、こうして実際に舞台を見ると、常日頃勝手な思い込みでひたっている「久保田万太郎の世界」が別の方向から照らされた格好で、なにかと目が覚める感じで、気持ちが引き締まって、「久保田万太郎の世界」をこれからもっと自分なりに深めていきたいと気持ちが新たになるのがなにより嬉しかった。


今回の上演は、黒木仁氏によって脚色されたおなじみの名短篇『三の酉』(初出:「中央公論」昭和31年1月)と、昭和5年の戯曲『夜長』(初出:「文藝春秋」昭和5年9月)。端正な舞台装置と衣裳と品格あふれる役者さんたちによって演じられる「久保田万太郎の世界」は眼福であった。『三の酉』の御猪口を前に繰り広げられるおしゃべり、二の酉か三の酉に昼間に出かけるのが毎年の恒例のおさわのこれまでのゆくたて。舞台化されることで、窓の外は成瀬巳喜男の映画の『流れる』のような変わりゆく東京風景なのかなと、ちょっと思いを馳せて、そして、おさわの「かわいい女」ぶりや、いたわりながら傍観する語り手の紳士に久保田万太郎がオーバーラップしているところなどなど、なにかと重層的な『三の酉』が、このたび舞台を見たことでこれまで以上にいとおしいくてたまらなくなってきた。


短篇全体が最後に登場の一句「たかだかとあはれは三の酉の月」の前置きのようになっていると、成瀬櫻桃子が論じていたことを思い出して、万太郎が愛していた吉原の芸妓おあいさん、東京大空襲で死んだおあいさんを偲んだ句「花曇りかるく一ぜん食べにけり」の句を思い出したりもする。と、舞台を見ながら、これまでのわが久保田万太郎の歳月をいろいろとおもって、なんとも格別な時間だった。そして、興味深かったのが、脚本化にあたって原作には登場しない女将を登場させていること。この女将が絶妙ですばらしかった! 入口で受けとったリーフレットにある演出の黒木仁氏の文章によると、一葉の『にごりえ』を万太郎が脚色した『おりき』のラストにちなんでいるとのこと。荒木道子の名前が登場していて、ちょっと嬉しい挿話だった。部屋で後日に全集で戯曲を読んで、おうたさんに再会したいなと思った


『夜長』もとてもおもしろかった! セリフの応酬が耳に心地よく、それぞれの登場人物がそれぞれに見事だった。開幕当初から話題の中心にいる旦那が終盤に登場する。ずっと不在で、観客にとっては出演者の台詞を通じて頭のなかに思い描いていた人物が実際に登場したときのハッとした感じにワクワクだった。『三の酉』でも『夜長』でも御猪口が登場して、そこに彩られるチリ鍋とか松茸といった季節感、長火鉢や箪笥やちゃぶ台などの小道具などの舞台装置が端正で、それだけでも眼の歓びで、このいかにも「久保田万太郎の世界」的な視覚が大好きだ! と、そんな視覚を得るのはまさに舞台化のおかげ、クーッと興奮だった。


……とかなんとか、「久保田万太郎の世界」が舞台化していることの歓喜にうちひしがれた一時間半だった。と、胸を躍らせながら外に出て、夜空の下、アトリエの建物に見とれてしばし立ちすくんでいたら(挙動不審者)、雨がポツポツ降ってきた。傘がない。余韻にひたる間もなく、四谷三丁目に向かってあわてて早歩きする。



文学座有志による自主企画公演「久保田万太郎の世界」上演記録メモ。2003年に「勉強会」として『十三夜』と『蛍』が文学座稽古場で上演されたのが最初で、2004年は『雪』『雨空』、2005年は『冬』、2006年は『あぶらでり』『片絲』、2007年は『雪の音』『不幸』、2008年は『四月尽』『はくじやうもの』、2009年は『燈下』『短夜』、そして今年は『三の酉』『夜長』。


長岡輝子がその著書(『ふたりの夫からの贈り物』)に、

昭和六十二年八月、文学座は創立五十周年記念公演に久保田先生の作品を、戌井市郎さんの演出で「弥太五郎源七」を、加藤武さんの演出で「ふりだした雪」を上演したが、久保田先生と龍岡さんのめぐりあいは、文学座に残された大きな財産ではなかったかと思う。そして私にとっては三人の幹事の先生方よりも大事な人となった。もし龍岡さんの演出と朗読に接しなかったら、私は生涯、久保田万太郎の真価を知らずに終っただろう。

と書いていたのを思い出して、長岡輝子の言う「文学座に残された大きな財産」は今もこうして大切に守られているのだなあと思うと、本当にもう胸がいっぱい。第8回上演になって初めて存在を知るというていたらくであったけれども、遅ればせながら舞台を目の当たりにすることができた次第で、本当に嬉しい夜だった。


などと、胸を熱くしながら雨に濡れて帰宅して、バッハの平均率を低音量で流しながら、『久保田万太郎全集』の戯曲の巻をあちらこちら読み返して、最後は『雨空』(初出:「人間」大正9年6月)。そんなこんなしたあと、寝床ではひさしぶりに龍岡晋の句集を拾い読みした。



自註現代俳句シリーズ・2期24『龍岡晋集』(社団法人俳句協会、昭和53年11月20日)。



見返しに著者自筆で「茎立やイワンのばかの巨きな掌」。「巨きな掌」は「おおきなて」。本書97ページに昭和26年作の句として掲載。著者自註には、《ばかの大足というが、足にかぎらない。寸法はずれの大きいものは、智慧の足りない鈍な感じのするものだ。》とある。なぜこの句が見返しに……。