東京劇場の角から歌舞伎座をのぞんだあと、新橋演舞場へ。


開館直後の京橋図書館へ行き、本を返してまた借りて、タリーズでコーヒーを飲んで、借りたばかりの本を偵察する。10時半を過ぎたところで、外に出て、新橋演舞場へ向かってテクテク歩く。芝居見物の際の築地のタリーズからのいつものコースだけれど、行き先が歌舞伎座から新橋演舞場に変わっただけで、だいぶ気分が変わる。なんだかたのしいなア! と、歩いているうちにいつのまにかハイになっている。晴海通りから東劇の角に立って、もうすぐ解体される歌舞伎座の方をのぞんで、昭和7年の『主婦之友』の附録の絵葉書を思い出して、ちょっとたのしい。


絵葉書《歌舞伎座》、『主婦之友』第16巻第9号(昭和7年9月1日発行)附録、《大東京完成記念発行 大東京名所絵はがき集 七十二枚一組》より。《東京劇場の屋上から見た歌舞伎座です。京橋木挽町にありますので、劇通の間では単に『木挽町』の名で呼ばれてゐます。団菊左在世当時から梨園の王座を占めた由緒ある大劇場で、明治二十二年に設立されたものですが、現在の建物は、大震災後、大正十四年に竣工しました。松竹合名社の経営です。》という解説が付されている。


今年4月までの「さよなら!歌舞伎座」の日々が遠い昔のことのように感じるのだったが、次に「歌舞伎座」に足を踏み入れる日のことを思うとますます歌舞伎座を遠くに感じる。でも、こんな感じに歌舞伎座を遠くに感じながら、大歌舞伎を見るというのもなかなか得難い経験だ。これから約3年の新橋演舞場の日々を大切にしたいなと思う……などと、大歌舞伎を見るのはたかだか数カ月ぶりなのにずいぶんひさしぶりな気がしてしまい、これからひさしぶりに大歌舞伎を見る! ということがなんだかとっても新鮮だ。しばらくしたら惰性になるのは目に見えているが、今日のこの感覚をずっと覚えておきたいものだと思う。脇の道路をみやりながらかつての築地川を思いつつ、采女橋に至る。

 

諏訪兼紀《新橋演舞場》(昭和4年)、版画集『新東京百景』より。『新東京百景 木版画集』(平凡社、昭和53年4月刊)の巻末の解説で、戸板康二は、

 東京劇場ができたのが昭和五年四月、十五代羽左衛門、六代目梅幸、六代目菊五郎の一座で、こけらおとしの興行をした。その開場に際して古式を復興した「式三番叟」の絵が、のちに映画館になってからも、廊下の壁に飾ってあったものだ。
 この劇場は、戦後、歌舞伎座再開まで、歌舞伎の本拠だった。
 新橋演舞場は大正十四年四月に開場、土地の花街の東おどりのための舞台として作られた劇場だったは、菊五郎一座が長い年月にわたって出演している。
 昭和四年四月に諏訪兼紀の版画が作られているが、たまたまその前月に、沢田正二郎が、ここに出ていて病に倒れ、三十八歳の若さで世を去った。辞世の句碑が、地内に建てられている。
 しきりに自分がかよった時代の劇場の画には、母校の写真を見るのと同じような、いや、もっといえば、ふるさとの山河を思い出すような、目のうるんでくる心持がある。

というふうに綴っている。芝居見物のたんびに、建物は変わっても芝居の内容は変わっても、戸板康二の「思い出の劇場」に思いを馳せるのがいつもたのしい。歌舞伎座の建て替えで「歌舞伎の本拠」がほかの劇場になるのは昭和20年代の東京劇場以来ということになる。



そんなこんなで、築地から演舞場に向かって歩くだけでハイになってしまったが、劇場の椅子でも、ひさびさにコクたっぷりの狂言だてを満喫、であった。ひさびさに心穏やかに五臓六腑にしみわたるような芝居見物ができたことが、ただただ嬉しかった。


予算と日程の都合上、昼夜両方は無理だったので、富十郎の『文屋』! というだけで、昼の部のチケットを申し込んだのであったが、このたびの深い考えもなく見る機会を得た、三津五郎と福助の『名月八幡祭』が戯曲の鑑賞という点で、しみじみと滋味深くて、新歌舞伎の円熟という感じの戯曲がたいそう手だれで、ここまで見事な脚本だったのかと、とにかくも池田大伍の戯曲そのものにしみじみ感じ入るものがあった。深川と芸者と通人のお殿様、魚惣といった、土地の感触と季節感とが何層にも折重なった厚みのある劇空間に唸りっぱなし。福助の美代吉は、芸者というよりも、荷風の『つゆのあとさき』における女給のようで、そんな「ハイカラ」さのようなものが、歌舞伎の人物の造詣云々は抜きにして、ちょっと興味深かった。明治から昭和初期にいたる「花柳文学」の系譜に思いを馳せたくなるような、衒学ぶりも感じられて、面白かった。


また見る機会が巡ってきたのが夢のようだった富十郎の『文屋』に、ひさびさに五臓六腑にしみわたる丸本歌舞伎の演出がただそれだけで嬉しい『金閣寺』。こんなに、静かな気持ちで極私的気分にひたりながら、歌舞伎を見るのはずいぶんひさしぶり! と、上機嫌になって劇場を後にした。これから3年間、こんな感じに新橋演舞場で歌舞伎を見続けていきたいなと、歌舞伎座の前を通りながら、ふつふつと嬉しかった。