昭和28年11月の歌舞伎座で撮影の記録映画、吉右衛門の『盛綱陣屋』を見られずの記。


早稲田大学演劇博物館で開催の《初代中村吉右衛門展》に関連して、「初代中村吉右衛門映画祭2」として、去る8月2日に昭和28年11月撮影の『盛綱陣屋』が上映された。戸板康二が製作に関わっている吉右衛門の記録映画『盛綱陣屋』はわたしの長年の念願だった、なんとしても見逃せない、万障繰り合わせて馳せ参じねばならぬと……とは思ったものの、いざ当日になってみると諸般の事情で諦めざるを得ず、残念なことであった。まあ、演博に映像が所蔵されているので、いつの日か、AVブースで視聴するという手もあろう(が、平日日中の利用に限られるので、いつになることやら……)。


さいわい、知人が『盛綱陣屋』の上映会に出かけていて、当日の大隈講堂の写真と会場で配布された資料を見せてくださったので、当日の様子をおおまかに知ることは出来て、たいへんありがたかった。そして、ひたすら羨ましかった……。

 

知人は12時15分に大隈講堂に到着という。開場は13時30分だというのに、たいしたハリキリようであるが、ウェブサイトに正午から整理券が配られるという告知があったとのこと。知人の番号は445番。定員は1100人というのに、配布15分後にして445番とは!

 

大隈講堂の地下1階が控え室として開放されていたとのこと。平成12年の秋に開催の《五代目中村歌右衛門展》の関連の講演会を聴きに、地下1階の講堂にわたしも一度だけ行ったことがあるのだった。当時のノートブックがどこかに残っているはず、懐かしいなア! いつの日か、わたしもいつかじっくりと大隈講堂の内部の近代建築観察をしてみたい。



そして、「初代中村吉右衛門映画祭2」は午後2時開演、『盛綱陣屋』はフィルムではなく DVD での上映、資料としてA3の紙が一枚配布され、『演劇界』昭和29年6月号に掲載の、安部豊の「歌舞伎映画 吉右衛門主演「盛綱陣屋」公開」の記事のコピーと、映画のクレジットをそのまま活字化したものが両面に印刷されている。タイトルバックは定式幕で、クレジットは、まず、

この映画は文化財保護の見地から藝術院會員中
村吉右衛門を中心とする歌舞伎劇「近江源氏先
陣館」のうち 「盛綱陣屋の場」における演技
と演出の様式を記録し 永く後世にのこそうと
するものである―一九五三、一一、十五―

がトップに出て、そのあと、

企画     文化財保護委員會
制作     松竹株式會社
監修     小宮豊隆
補助     戸板康二
制作担当     細谷辰雄
監督     西河克己
撮影     長岡博之
録音     小野幸魚
照明     豊島良三
編集     濱村義康

とスタッフのクレジットに入る。「戸板康二」のクレジットにジーン。話を聞いただけで大喜びだった。しつこいけれども、スクリーンで目のあたりにしたかった! 「監修 小宮豊隆」と「補助 戸板康二」は連名で、「補助 戸板康二」の文字の方が小さくなっていたとのこと。このあと、役者陣、まず

佐々木三郎兵衛盛綱   中村吉右衛門

の文字が単独でデーン! と表示されたあと、

和田兵衛秀盛      松本幸四郎
北條相模守時政     市川團蔵
盛綱の母微妙      中村時蔵
盛綱の妻早瀬      澤村宗十郎
高綱の妻篝火      中村歌右衛門

と、ここまでが連名で表示、以下、

注進伊吹藤太      坂東三津五郎
注進信楽太郎      中村勘三郎
高綱一子小四郎    中村萬之助
盛綱一子小三郎    中村蝶之助
古郷新左衛門      中村吉之丞
竹の下孫八       中村又五郎

と、次はここまでが連名、このあと、役者陣は以下のように続く。

時正の臣     市川九蔵
同         中村歌昇
同         坂東慶三
同         中村錦之助
榛谷十郎     坂東羽壽蔵
申しつぎ武士   澤村宗五郎
腰元        澤村門之助
同         中村しほみ
同         中村吉弥
同         市川おの江
同         中村萬之丞
同         中村時壽

錦ちゃん登場! 錦之助の名前がこんな僻地にクレジットされるなんて東映時代劇では絶対にありえない。こんなところにいつまでもくすぶっていなくて本当によかった、映画に来てくれて本当によかった。などと、突如東映時代劇のことで頭のなかがいっぱいになってしまうのだったが、中村萬之丞は今の吉之丞、このフィルムに登場している人たちのうち、小四郎の萬之助、すなわち当代吉右衛門と吉之丞の二人のみ今も現役。以下、スタッフとなり、

竹本連中 浄瑠璃   豊竹岡太夫
       三味線   竹澤仲造
      浄瑠璃   竹本米太夫
      三味線   鶴澤扇糸
      浄瑠璃   竹本一朝太夫
      三味線   野澤吉作
長唄囃子連中     杵屋栄二 社中
            田中傳左衛門 社中
狂言作者   竹柴金作
狂言作者   竹柴朝二
狂言作者   竹柴定吉
大道具製作       長谷川勘兵衛
衣裳          根岸衣裳株式會社
かつら         小林かつら店
小道具         藤浪小道具株式會社
床山(結髪)      鴨治虎尾
同           那須武雄
同           上島光太郎
同           上島實

ここでクレジットが終了、このあと本編に入る前に、主要人物が一人ずつ写し出される。吉右衛門のみ記録映画から抜粋した映像で、他はスタジオで別撮り、役名と俳優名の文字とともに幸四郎から萬之助まで一人ずつ紹介されてゆく。会場で配布された『演劇界』昭和29年6月号所載の安部豊の記事によると、

続いて主要人物を一人ずつ見せたが、その色調はそこそこの出来であつた。但し吉右衛門の盛綱だけ強い照明は真平御免とあつて天然色に撮り得ず、普通の白黒写真で罷り通つた。之れは不統一で体裁が悪い。

とあるが、知人が見たところでは、「天然色」ではなくてすべて白黒だったような記憶なのだが……とのことであった。



戸板康二が『あの人この人』所収「小宮豊隆の吉右衛門」で《吉右衛門にとっては二重三重に緊張の続く月であったと思われる。》と回想しているとおり、昭和28年11月は、14日に『盛綱陣屋』の記録映画が撮影され、その4日前の10日、天皇と皇后が初めて歌舞伎座を訪れていたのだった。取り急ぎ、『歌舞伎座百年史』を参照すると、昭和28年11月は「芸術祭大歌舞伎」で1日初日、第1部は北條秀司作『鬼火』、『酔奴』、『盛綱陣屋』、『娘道成寺』、第2部は『明治零年』、『菊畑』、『小鍛冶』、『蘭蝶此糸ゆかりの紫頭巾』という狂言だて。それまで2本ある吉右衛門の記録映画(『熊谷陣屋』『寺子屋』)とは異なり、14日に撮影された『盛綱陣屋』は、この月の歌舞伎座の舞台をそのまま撮影している。


『演劇界』昭和28年12月号に、11月の歌舞伎座の第一部を評した戸板康二の劇評が掲載されているので、映画の『盛綱陣屋』がどんな感じなのか思いを馳せるのにぴったりの文献である。劇評は末尾に「五日所見」とあり、劇評のタイトルは『「盛綱」と「鬼火」』。この文章はのちに、『戸板康二劇評集』(演劇出版社、平成3年6月刊)に収録されている。

 吉右衛門の「盛綱陣屋」は、文化財保護委員会の企画として、十四日に映画に収め、永く記録することになつたが、体力の衰へもあつて、十年前の盛綱に比べると、やはり充実を欠く処が出て来てゐる。
 尤も、歌舞伎のやうな芝居は、老優の顔がしわで崩れても、そこに別な味で出て来るといつたものであり、多少手をぬいてゐてさへも、そこに枯れた風格を見る場合もある。ことにこの人のこの役の如きは、何度も見てゐるので、過去の記憶で、足りない所を観客は補ひながら鑑賞するのかも知れない。
 長袴で三段の上り下りが、不安なためか、時政を出迎へる所で上手から出たりするほか、幕切れに二重へ上らず、舞台の中央で右袖を反し、左手の刀をもつて泣き上げる散文的な形をして大見得の秀盛を間のぬけたものに見せてゐる如きは「記録」にのこしておきたくない所だが、しかも、母親に小四郎の切腹を依頼する辺りのうまさは、相変らず、彼の丸本物の技巧と相俟つて、老年の円熟ともいへる。この件はいつも僕は感心するのだが、「思案の扇カラリとすて」のイキも、三日に見た時は特に鮮かだつた。「きき分けてたべ」の所で三段に頭を下げてゆく面白さなどは、ぜひフィルムに残したい。
 これも一段足を落せないためであらうが、注進受の「しなしたり」で刀をすべらせ、「うろたへ者め」でもう一度同じやうなおこつき方をしたのは、今度の演出での疑問。そのあとで母とのしつとりとした人形なら「横に目を引く」くだりの演技も、中途半端な顔の向け方で、印象が散漫になつたのを惜しむ。
 首実検は、二度目に蓋をとつてから、「矢疵に面体」のセリフまで、はかつて見たら、四分五十秒位かかつてゐるが、そんな時間を感じさせないのは、さすがである。通俗ないひ方で「持ち切れる」といふことなのであらう。表情がギラギラしないのも賛成。
 小四郎をほめる件では、「百千切つても」で刀に擬して扇に手を重ねる辺りの技巧も、単に技巧だけでなしに、芸の中にとけこんでゐた。
 以上、総体に出来は悪くないが、そして十年前よりも、年輪は明らかに殖えてゐるが、しかもなほ、体力が気力に影響してゐる箇所は指摘出来る。
 かつては畳み込む熱演で押してゐた筈の吉右衛門の盛綱が、年とともに余白の多い淡彩の画になつたともいへる。
 時蔵の微妙も老け役として安定して来た。ただもつと重厚さが欲しい。「三悪道」の小四郎の背中についてまはるのを探すあたりが、軽すぎる。
 歌右衛門の篝火は美しい。殊に軍兵の陣羽織を着て出て来る、前半の扮装に独特な美しさがある。つまり男が女に扮しその女が異様な男装をしてゐるといふ錯雑した美しさなのである。だから後に、普通の女の姿にかへると魅力がなくなる。それで連想したのだが、「寺子屋」の千代の抱へ帯のあの姿にしても、別な理由はあるにもせよ、あれは考へて拵へた「美しい」姿なのであらう。そして、平凡でない美しさを、それは狙つてゐるのである。
 幸四郎の和田兵衛にもう少しコツテリした味をもたせたい。三津五郎のチャリの注進は、軽妙にちがいなひが、「陣笠とつて」で足を掬ひとるケレンがもう出来ない以上、足を使ふのはやめた方がいい。團蔵の時政が、念の入つた芝居をしてゐた。

 


『演劇界』昭和28年11月号に掲載の、吉右衛門の盛綱。『演劇界』昭和29年6月号所載の安部豊の文章の首実検のくだりは、

 首実検の盛綱は実に巧妙に撮影してあつた。最初上手から見た全景、次で下手からのを見せ、それより盛綱正面の大写しであるが、程よき照明のためか吉右衛門の顔が四十代の時のように肉付よく、首の皺なども見えず、生気溌溂で別人の感すら湧いた。小四郎の切腹から始つた切実なる表情、偽首と知り向うを見て熟慮をめぐらし、高綱の深謀に思いを及んでハハアと口をあけてうなずき、更に小四郎を見て其孝心に胸を詰らせ、また考えた後自害の決意で実検を終るその深刻な心のひらめきが驚くほど鮮やかに撮れてある。彼氏のこんな表情を見たのは今回が始めで、レンズの力の偉大なるを痛感した。

というふうになっている。映画を見た知人もこの首実検のくだりに一番感激したとのことで、まるで名取春仙の役者絵を見るような立派な顔であったという。それから、全編にわたって、吉右衛門のセリフ、声がとてもよかったとのこと。とまあ、今回は残念だったけれども、わたしもいつの日か、吉右衛門の記録映画『盛綱陣屋』を見たい! と、胸を熱くする。



『演劇界』昭和29年6月号所載の安部豊の「歌舞伎映画 吉右衛門主演「盛綱陣屋」公開」によると、吉右衛門の『盛綱陣屋』は、昭和29年5月5日午後6時、朝日新聞社と財団法人演劇研究会の主催で第一生命ホールで初公開された。

 最初に当面の企画者小宮豊隆氏から、無形文化財として此演劇を記録映画に残しておきたいという当局者の意向や、それに附随した種々相の解説があり、先年特別機構で熊谷を撮影した吉右衛門は、夜明けの四時頃から其夜の深更まで幾十回となく同じ事を繰返され、心身共に疲労困憊したことを理由に今度の盛綱撮影を固辞してやまなかつた。それで何度も楽屋に行き、開演中そのままの撮影であることを力説して漸く諒解を得た話、実は天然色写真で撮りたかつたが費用が五六倍も嵩むので各自の一人立ちを天然色にしたこと。撮影は松竹大船の演劇通のカメラマンが何回も芝居を見て研究し、一二階に五ヶ所撮影機を配置して分担撮影を行い、出来たものを全体会議で編集した時の内輪話、企画並に製作は小宮となつているが、実は戸板康二君に骨折つて貰つたと後進に花を持たせる美しい話などがあつて愈々初公開となつた。

とのことで、この初公開の場に戸板康二が臨席していたことは確実で、映画『盛綱陣屋』にあたっての戸板康二の仕事ぶりをイキイキと実感できる嬉しいくだり。


当の戸板康二は「再見三見」(昭和29年3月、初出誌未確認→『演劇の魅力』所収)で、『盛綱陣屋』の映画のことに言及している。

 先月出来上った「盛綱陣屋」の映画を二度見たが、見るたびに新しい発見があった。今度のフィルムの撮影には、僕も僅かばかりお手伝いをしたので、シナリオからコンティニュイティ(撮影用台本)が作られるまでの過程も知つてゐるが、カメラを一回の中央と、二階の前方の他に、更に二階の東側、一階の揚幕脇に置いたために、完成された作品は、吾々のふだん経験出来ない見方が、可能になつたのである。

という書き出しにはじまり、

 古老にきくと、昔の劇評家は初日と中日と千秋楽に分けて、平土間の前方、向ふ正面、東の桟敷といつたやうに、場席をかへた見方をしたといふ。三木竹二の書いたものにコクのあるのは、さういふ丁寧な見方の、二度三度の印象の重ね焼きだからである。そして、これは、初めにのべた映画を一度見ることよりは、更にもつと意味もあるわけだ。

というようなことを考えるにいたる戸板康二であった。