戸板康二ノート

戸板康二とその周辺に関する走り書的覚え書、古本と都市と演劇(執筆:藤田加奈子)

『日本古書通信』の戸板康二と串田孫一。2015年は戸板さんと串田さんと七代目尾上梅幸の生誕100年。

八木福次郎さんの「愛書家・思い出写真帖」と題された連載が『日本古書通信』2005年1月号(第906号)からはじまってからというもの、毎月とてもたのしみにしていたものだった。あの頃の日々が懐かしい。今からちょうど十年前になる。第1回は津田青楓、《原稿執筆依頼や、訪問記を書く時、カメラマンに同行してもらったこともあったが、自分で写真をとることが多かった。その時の思い出など、写真入りで今年一年続けたいと思う》として、八木さんがおもに『日本古書通通信』(以下、『古通』)の編集の折に出会った人物の思い出をその肖像写真とともに綴ってゆくこの連載は、当初の予定は1年間だったようだけれども、嬉しいことに以後かなり長く続いて、2008年12月号(第953号)に掲載の第48回まで、満4年の連載となった。


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そして、八木福次郎さんによる「愛書家・思い出写真帖」第17回(2006年5月・第922号)は《串田孫一さんと戸板康二さん》。当時、届いたばかりの『古通』でこのページを目の当たりにしたときの歓喜といったらなかった。いずれも、八木さんが二人を初めて訪れて、『古通』の原稿を書いてもらった当時の写真。上の串田孫一が昭和35年10月15日発行号(第375号)、下の戸板康二は昭和36年8月15日発行号(第385号)に掲載されている写真だから、ほぼ同時期の写真。いずれも後ろの本棚に目をこらして、たのしい。


『古通』の巻頭ページは、3年間にわたる連載、長澤規距也「解説 版本の歴史」が昭和34年12月号(第365号)をもって終了し、翌35年1月号から毎回異なる執筆者が本や書斎にまつわるエッセイを寄稿、エッセイとともに寄稿者の肖像写真が掲載されるというスタイルになった。その記念すべき第1回、昭和36年1月号(第366号)の巻頭エッセイは矢野峰人。以後、巻頭エッセイ+書斎での肖像写真のスタイルは昭和40年12月号まで長らく続くこととなり(昭和41年1月号以降はエッセイは巻頭から中ほどのページへと移動し、掲載も毎号ではなくなる。)、当時の『古通』の紙面の愉しき雰囲気に一役買っている格好となっている(当時は、岩佐東一郎の「書痴半代記」、森銑三や柴田宵曲のコラムなどなど、ただでさえとっても胸躍る誌面!)。2005年1月に始まった八木福次郞さんによる連載「愛書家・思い出写真帖」全48回で再掲されたのは、主にこの当時に撮影された写真であり、八木さんのアルバムに長らく保存されていた写真なのであった。


毎号異なる書き手に執筆依頼と写真撮影を依頼する必要があったから、人選には苦労したことと思う。串田孫一が登場したのは10回目のこと、八木さんが上掲の「愛書家・思い出写真帖」第17回(『古通』2006年5月号)において当時を回想することには、《串田さんを始めて(原文ママ)小金井のお宅にお訪ねした時は、ペリカン書房の品川力さんの案内であった。》。品川力の紹介で串田孫一と対面し、「本との出会い」という原稿を得、上掲の肖像写真が撮影された。その後、串田孫一は昭和58年2月まで『古通』に計6回寄稿したのだったが、

何かでお伺いした時、雑談のなかで戸板康二君に原稿をお願いするといいよ、面白い話題を沢山持っている人だから、と云われた。戸板さんは喉の手術をされて声がでないそうですが、というと、声は出なくても原稿は書けるから、私からも云っておきましょう、と云われ、お願いすると早速書いて頂けた。

と、八木さんは当時のことを回想していて、戸板康二の『古通』への寄稿は串田さんの紹介だったことを伺わせている。戸板康二の『古通』への寄稿は、上掲の写真が掲載された昭和36年8月号の巻頭エッセイ「ささやかな話」と昭和58年9月号(第650号)に掲載の「古書展のにおい」と合わせて、2回きりである。喉の病気は昭和54年のことだから、この八木さんの回想はこの2篇の記憶が混ざってしまったものかなと思う。


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古通豆本58(並製)・串田孫一『本・その周辺』(日本古書通信社、昭和58年5月20日)。串田孫一が『古通』に寄稿の計6篇のエッセイは「古通豆本」の1冊として刊行された。

  1. 本との出会い(昭和35年10月)
  2. 造本以前(昭和45年5月)
  3. 印刷の魅力(昭和45年6月)
  4. 特装本(昭和45年7月)
  5. 読書の道草(昭和58年1月)
  6. 盲人の日記(昭和58年2月)

の計6篇。特装版・並製の2種の造本で、いずれも表紙カットは著者によるもの。


前述のとおり、戸板康二の『古通』への寄稿は、昭和36年8月の「ささやかな話」(のち、『ハンカチの鼠』に収録)と昭和58年9月の「古書展のにおい」(のち、『おととしの恋人』に収録)の2篇だけだけど、いずれも古書エッセイとしてとっても嬉しい読み物になっている。串田さんみたいにもっと『古通』に寄稿していたら、戸板さんも『古通』に寄せた書物エッセイ集を収める「古通豆本」を出していたかもしれないなあと、そんな夢想をするのは楽しい。「愛書家・思い出写真帖」で八木福次郎は、

私も、演劇関係はともかく、「ちょっといい話」など愛読した随筆本は少なくない。串田さんと戸板さんは同じ大正四年生まれで親しく、私も大正四年生まれでそんなことを串田さんと話したことがあった。

と書き添えている。八木さんがご存命の頃、いつも戸板さんと同い年ということがわたしの頭にあったなあとしみじみ懐かしい。と、そんなこんなで、今年2015年はいよいよ、戸板康二の生誕百年。暁星の小学校と中学校の同級生として『文藝春秋』の「同級生交歓」にも登場した、戸板さんと串田さんと七代目尾上梅幸。歌舞伎座で梅幸追善の興行があるといいなあと淡い期待を寄せてもいる2015年元日なのだった(菊五郎か菊之助、どっちでもいいからぜひとも玉手御前が見たい…)。


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『ほろにが通信』第32号(朝日麦酒株式会社、昭和28年4月1日号)所載、同誌恒例の連載対談「AB対談」、この号は尾上梅幸・戸板康二「朧月夜麦酒泡談(はるのよいびいるのひととき)」。

戸板「女形のひとは、お酒の好きな人が多いようだね。」
梅幸「多いんだ。それはね、立役とちがって、舞台で発散できないんだよ。女形は立役より三歩下って芝居をしろッていう訓えがあるくらいだから……・。」
戸板「内攻するんだな。」
梅幸「先代の福助さん、今の福助さん……。」
戸板「松蔦。」
梅幸「先代梅幸の長男で死んだ栄三郎。みんな強いな。」
戸板「若いところでは?」
梅幸「一応のむね、みんな。」
戸板「芦燕。」
梅幸「芦燕さんは強いね。一升は飲むな。」
戸板「だけど、全然飲まないでも、舞台で酔っ払うことはできるらしいね。新派の河合武雄は全然飲まなかったってね。」

というようなことを、「ブリッジストーン・アラスカ」で語り合う二人の紳士。


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画・尾上梅幸、句・戸板康二。上掲の「AB対談」の対談の際に描かれたもの。梅幸の梅の絵と戸板さんの賛「芝に住む女形あり猫やなぎ」。『ほろにが通信』第50号(昭和29年10月1日」所載、「ほろにが酔墨展」より。(ちなみに、同誌については、濱田研吾氏によるウェブ連載『ほろにがの群像』(http://www.yubun-shoin.co.jp/horoniga/index.html)に詳しい。「AB対談」については第9回に→ http://www.yubun-shoin.co.jp/horoniga/09.html)。