前進座五月国立劇場公演『切られお富』を見る。


いつもよりも早起きの日曜日。今日も朝からよいお天気。家事もろもろを片づけ、弁当をこしらえてゆっくりと朝食を食べる。休日の朝ならではのゆったりとした時間が好きだ! とハイになったところで、NHK ラジオ「音楽の泉」の時間となり、身支度を開始する。先週はドヴォルザーグの交響曲だったのですぐにスイッチを切ってしまったけど、本日の曲目はハイドンの弦楽四重奏《五度》、演奏はアルバン・ベルク弦楽四重奏団。ハイドンを聴くといつも今のわたしにもっとも必要なのはこの音楽だーというような心境になって、いつもしみじみ嬉しい。ああ、せっかくのハイドンなのに、早々に身支度が終わってしまって残念と、音楽の途中で外出。青空の下、国立劇場に向かって、テクテク歩いて、その途上のコーヒーショップで休憩。開演までここでのんびりすることにする。柏原兵三の文庫本を読む。


時間になり、国立劇場へ。歌舞伎座の建て替えが決まった今、国立劇場にただよう「昭和」感がますますいとおしい。いったい何を間違ってこんな建築になってしまったのだろう。昭和41年の開場時、人びとはこの正倉院を模した劇場を見て何を思ったのだろう。などなど、悪趣味な建築、無機的な立地等々、国立劇場が背負う「昭和」がしみじみ味い深いのだった。人混みが苦手な身にとっては、劇場までのひっそりとした道のりも嬉しい。ひっそりと来てひっそりと帰る。このごろ、ますます国立劇場が好きだ。


去年秋に演博で見た新派展がモクモクとおもしろく(思わず何度も行ってしまった)、これに鼓舞される恰好で、いろいろと本を繰っていったなかで、しみじみおもしろいなと思ったのが、近代日本演劇史における新国劇と前進座のくだり。新国劇は解散してしまったけれども、前進座は健在だ。しかし、前進座といえば、わたしのなかでは戦前映画でのみおなじみで、舞台を見たことは一度もなかった。惰性的とはいえ、今現在もまがりなりにも歌舞伎を見続けているというのに、前進座を見たことがないとはなんという欠落! というわけで、見物意欲の湧く公演があったらぜひとも見物に出かけようと思っていたところで遭遇したのが、このたびの『切られお富』。梅之助の赤間源左衛門がビシッと固めるのかな、ポスターの國太郎の伝法な感じがなかなかいいぞ、黙阿弥ものはひさしぶりな気がするのでたのしみだな……云々と大いに見物意欲が湧いて、張り切ってチケットを入手(2500円の三等席)。毎年5月の国立劇場の前進座公演はここ数年来ずっと気になりつつも、なんやかやで機会を逸していたので、やっと見物が実現して嬉しい。


そんなこんなで、初めての前進座観劇。さてどうだろうとかなり様子見な気持ちで劇場の椅子に座り、幕が開いたら、まずは口上。七代目嵐芳三郎襲名披露の口上で、なんの予備知識もなく来たので、いきなり「口上のある風景」がはじまって、急にピンと背筋が伸びる。まずは梅之助で、嵐圭史、藤川矢之輔、國太郎……というふうに続いていくなかで、先代芳三郎は吃又の女房がよかった、先々代は「はんなり」とした芸風だった、『切られお富』は昭和54年に前進座小劇場で初演され、先代が与三郎を演じて、今回は当代が演じることになった云々といったことを耳に入れることで、ちょっとした前進座入門的な時間にもなって、これから鋭意、前進座の歴史を彩った役者たちの芸風を追究したいなと思った。その手始めに今の前進座をと、ますます観劇の気分が盛り上がった。


と、気持ちが盛り上がったところで始まった『切られお富』は全体的に好感触で、気持ちがさわやかになるようなよい舞台であった。見てよかったと静かに満足して劇場をあとにするような舞台。先代國太郎が演じて前進座ではおなじみだった狂言を当代國太郎が初役で演じる。そのことから来る、お富を演じることに対する真摯な態度が気持ちよい。ポスターでの印象どおりの伝法な姿もなかなかいい感じだった。そんな國太郎を支える要所要所の役者たちがそれぞれに印象的で、そのアンサンブルとしての舞台、そこに横溢する「芝居をつくる」ということに対しての一座の誠実さが心地よかった。


そして、やっぱり嬉しいのが梅之助が健在で、赤間源左衛門を演じているということ。この滋味がたまらぬと、唸りっぱなしだった。赤間源左衛門は『切られお富』の要のような人物で、そもそもの発端の刀を盗んだ盗賊でありながら前半では絹問屋、後半では女郎屋の主人に収まっている。その表向きの大旦那の姿と泥棒の正体。愛妾お富の密通を知ったらすぐさまめった刺しにするという容赦のない男。一見いかにも江戸の大店の主人なのに、実は凄みのある悪党という人物を梅之助が演じている。そんな幾層ものひだをもつ男を梅之助が実在化させているのを目の当たりにすることの歓び。國太郎が前進座の名作のお富に挑んで、梅之助の赤間源左衛門が健在というような舞台を目の当たりにできて、嬉しくなってくると同時に、背筋がシャンと伸びる感じだった。わたしも観客のひとりとして、来年の前進座80周年に立ち会いたいなあと強く思った。


『切られお富』は前に福助が歌舞伎座で演じたのを見たっきりで、記憶もおぼろげではあるけれども、今回初めて、強請りの前の場面を見ることができて、『切られお富』における蝙蝠安の役どころがしみじみおもしろい! と演目的にも興奮だった。ちょっと髪結新三を見たくなってきた。切られお富といえば源之助であるけれども、昭和8年に赤間源左衛門の女房を源之助が演じてそれがすばらしかったと戸板康二が書いていたことを、赤間源左衛門の女房が登場したとき急に思い出して、ホクホクと嬉しかった。この役もちょっとしか登場しないけれど、なかなかいい役。ちょっとしか登場しないといえば、嵐圭史がとてもよかった! 今回襲名の芳三郎は、ちょっと難しいだろうなあという役で映えない感じだったけれども、要所要所の、ポスター写真になっている5人の役者と赤間の女房の山崎辰三郎、それぞれがそれぞれによくて、そのアンサンブルとしての『切られお富』はなかなか好感触の舞台だった。黙阿弥の脚本の大団円をうまく省略して、最後、「やまざきや」の傘を持った絡みに囲まれてパッと舞台が明るくなるという幕切れの演出も気持ちがパッと晴れるようで、よかった。



豊原国周《処女翫浮名横櫛》、澤村田之助(愛妾おとみ)・中村芝翫(赤間源左衛門)元治1年(1864)7月守田座。『国立劇場所蔵 芝居版画等図録11』(独立行政法人日本芸術文化振興会、平成18年3月発行)より。この図録には、戸板康二が国立劇場に寄贈した芝居版画のうち312枚が収録されているので、この芝居絵も戸板康二旧蔵のもの。

 


木村荘八《切られお富》、『春泥』第3号(昭和5年5月1日発行)より。

澤村:これは切られお富の話ですが、薩陀峠でむかし私は白粉を薄くして出たことがありましたが、うきよ新聞の並木の船橋屋の息子だった伊東橋塘さんが部屋へきてそんな薄くしちやいけない、あすこは元もと通り白くしてゐなくちやあいけないつて言はれました。これはさうかも知れません。それからはどこでも私は濃く塗つてやつてをります。
喜多村:与三を見て、ちよつと昔の心持に帰るところですから矢つ張り白くなくつちやいけなひとおもひますね。

『春泥』のこの号には、「沢村源之助氏を中心とせる雑話」と題する座談会が掲載されている(里見とん・木村荘八・久保田万太郎・喜多村緑郎・沢村源之助)。

里見:あなたの一番好きだつた役者は誰です。
澤村:やつぱりなんてつても五代目です。
喜多村:田之助さんとはあなたどうでした。
澤村:あの方とはもう子役の時分きりでした。中橋の沢村座で浦里の芝居をした。この時私はすこし柄が大きかつたが手も足もない太夫さんのかひぞへをするんで禿をつとめました。太夫さんは立たないで動かなければならないから禿が芝居をします。「あぢきない浮世ぢやなあ」からあと清元の間一つぱいに禿が路次傘をさしかける。……
喜多村:粂八は田之助に似てゐたさうですね。
澤村:キユツと片つ方上つた目許が田之助に似てゐました。
喜多村:粂八ははじめ田之助で中ごろ彦三でしまひは団十郎になりました。大へん器用な人でした。
久保田:あなた舞台でお附合になつたことがありますか。
澤村:宮戸座で二芝居か三芝居附合ひました。
久保田:あなたは今までに相手として誰が一番よかつたんです。
澤村:まあ、菊四郎でせうね。宅悦なんかよかつた。
久保田:まあ、さうですか。私はさうだらうと思つてゐました。私は勘五郎といふ人はどうも親身になれなかつたやうでした。
澤村:うますぎたんでせうね。手に入りすぎていけないやうでした。
喜多村:芳三郎もゐたが。
久保田:芳三郎も宮戸座で売れたがあの人は不思議に六代目に似てゐた。けど宮戸座といふ芝居は兎に角山の手からわざわざみんな見に行つた。志賀直哉さんも、里見さんと盛んに通はれたさうだ。二人ともお目当は田圃さんだつた。