内田吐夢の『警察官』の「東京昭和8年」に陶然。写真家としての杵屋栄二。


先週の水曜日の夕刻、《内田吐夢没後40年回顧上映》開催中の新文芸坐へ、『限りなき前進』と『土』の二本立てを見に行った。平日の日没後の新文芸坐行きはいつも丸ノ内線。御茶ノ水駅直前の丸ノ内線の車窓から見える神田川と聖橋の風景はいつ見ても心躍る。東京駅から池袋に向かう丸ノ内線に乗るのは新文芸坐へ足を伸ばす平日の日没後以外にないので、新文芸坐行きの日にだけ見ることのできる特別の車窓なのだった。

 今日は日曜日なので、丸ノ内線ではなくて有楽町線で、夕刻池袋へ。内田吐夢特集の新文芸坐、本日の映画は『人生劇場』(昭和11年・日活多摩川)と『警察官』(昭和8年・新興キネマ)なり。先週の『限りなき前進』と『土』と合わせて戦前の内田吐夢をシンシンと、全身で満喫。無事に見に来ることができて、本当によかった。

 山本礼三郎の吉良常がかっこよい『人生劇場』にただよう、いかにも「日活多摩川」の雰囲気はもうそれだけでいとおしかった。そして、『警察官』はあまりにすばらしくて、びっくり! 本当にもうびっくりするくらい素晴らしかった。「陶然たる微酔に早や瞼も重たげに」といった感じでぼんやりとふたたび有楽町線に乗りこんで、ぼんやり家路について、帰宅後も部屋でずっとぼんやりだった。それにしても、なんてすばらしかったのだろう!

 『警察官』は冒頭からして、第一京浜の六郷橋(たぶん)がロケ地として登場して、石造りの近代建築、木造家屋のひしめく路地裏、砂町のガスタンク、ビリアード場、銀座のカフェー(いかにも水谷浩の装置!)などなど、「東京昭和8年」のあちらこちらを、追う者(小杉勇)と追われる者(中野英治)が交錯する。光と影が織りなすスクリーンのかっこよさにむやみやたらに陶然となっていた、無声映画を見始めたころの魅せられる魂、といった感覚をひさびさに思い出した映画だった。

無声映画をシンと静まり返る映画館で凝視するのが好きな身ではあるけれども、今回の上映は、澤登翠の説明付きでの上映。そんなたまの弁士付きでの見物が新鮮でなかなかよかった。『警察官』では BGM のクラシック音楽が嬉しくて、ブラームスの交響曲第3番の最終楽章が使われていたところがゾクゾクだった。ベートーヴェンの7番のアレグレットとかヴィヴァルディの《四季》といった旋律が、『警察官』の「東京昭和8年」の画面全体によく調和していて、思いがけないところで満喫だった。無声映画時代の楽団のことにふと興味を覚えて、帰宅後の夜ふけ、徳川夢声の『くらがり二十年』を拾い読み。思いたって、夢声在籍時(大正4年秋から大正10年3月まで)の葵館のパンフレットを見てみると、楽団への意見(使われる音楽がワンパターン等)が投書欄で散見できて、おもしろかった。無声映画時代の映画館での音楽について、ちょいと追究してみたい。

それから、『警察官』(竹田敏彦原作・山内英三脚本)は新国劇で上演されたということを澤登さんの解説で知り、ラストの捕縛シーンはいかにも新国劇を髣髴とさせて嬉しかった。前々からこの時期の新国劇のレパートリー(秋声の『勲章』等)が面白いなと思いつつも、それっきりだったことを思い出したので、戦前昭和の新国劇についても合わせて追究したい。……と、音楽と新国劇について刺激を受けたのも、澤登さんの説明付きだったおかげで、かえすがえすも、無声映画はたまには弁士付きで見るものだと思ったのだった。

 


師岡宏次《中央線お茶の水駅の建物は、今も昔も全く変っていない。》、『師岡宏次写真集 オールドカーのある風景』(二玄社、1984年1月10日発行)より。『警察官』のスクリーンには、出来たてほやほやの御茶ノ水駅が登場していて、ワオ! だった。白い壁の眩しさはこの写真とまったく同じだった。そして『警察官』のスクリーンはまさしく全編で「オールドカーのある風景」だった。

 


杵屋栄二《昼下がりのホーム/お茶の水駅》、『杵屋栄二写真集 汽車電車』(プレス・アイゼンバーン、1977年10月10日発行)より。解説には《昭和8年9月15日、お茶の水から両国まで電車が開通した。新しいお茶の水駅は、お茶の水橋と聖橋の間に設けられ、中央線上りと立体交差して神田川を渡る昌平橋鉄橋、二層高架の秋葉原駅や隅田川鉄橋などが、東京省電の新名所となった。》とある。


 

と、昭和8年のお茶の水駅つながりということで、最近知って興奮だったのが、『杵屋栄二写真集 汽車電車』(プレス・アイゼンバーン、1977年10月10日発行)。明治27年生まれの杵屋栄二が昭和9年から昭和13年にかけて撮影した汽車電車の写真集。被写体が汽車や電車、地下鉄や路面電車であることでおのずと、背景の町の風景が映し出される。たいへん秀逸なモダン都市資料になっている。なによりも、写真がどれもこれもすばらしいし、被写体が電車であることでかえって、おなじみの都市風景が別のアングルから写されて、新鮮な視覚を得ることができる。とにかくもブリリアント! 

 昭和9年から昭和13年までの写真に限定されているのは、この期間の写真だけ疎開先で保管されていて戦災にあわなかったためだという。杵屋栄二は大正2年二十歳のときにライカを入手、以後東京市電を撮り集めたものの震災で灰に。そして、その後の写真は戦災で灰に。昭和9年から昭和13年までのものだけがエアポケットのように無事だった。そこに映し出される都市風景にひたすら陶然。

 三味線を聴いたことはないのだけれど、「写真家」としての杵屋栄二にすっかり魅了され、一気に大ファンになってしまった。杵屋栄二は、『銀座百点』第57号(昭和34年9月1日発行)の「銀座サロン」に登場している。座談会のメンバーは杵屋栄二を囲んで、久保田万太郎、戸板康二、円地文子、池田弥三郎。『お囃子さん』というタイトルのとおりに、当然とはいえ、写真や鉄道のことについての話題はなくて、ちょっとばかり残念だった。


で、ふと思い出したのが、『アサヒカメラ』第20巻第1号(昭和11年1月1日発行)のこと。

 


ある日の古書展で、何も買わずに会場を後にするのはしのびなく、《俳優撮影写真傑作集》なる記事があるから、とりあえず買っておくとするかなという感じでしょうがなく買ったのだったけれども、時がたつほどにお気に入りの「劇書」となっていって、とりあえず買っておいて本当によかった! 《俳優撮影写真傑作集》は計101人の俳優が自らが撮影した写真を一枚ずつ掲載している。写真一枚一枚に、渥美清太郎と朝日新聞社写真部の成澤玲川が解説を加えている。渥美清太郎が俳優紹介を兼ねた適当な写真論評であるのに対し、成澤玲川の解説は写真技術に対して厳しく容赦のない論評を加えていて、俳優相手でもまったく手加減をしていないところが微笑ましい。

 


杵屋栄二《のどか》、『アサヒカメラ』昭和11年1月号、《俳優撮影写真傑作集》所載。渥美清太郎の解説は《栄蔵門下の立三味線。あの美男子が道楽といったら、汽車の写真を写すことだけなのである。》となっていて、ちょっとだけ興奮。杵屋栄二は汽車の写真で当時から有名だったのだなアとにんまり。一方、成澤玲川の論評は《構図はよく纏まっているし、明暗の調子もいい。ただ画題の「のどか」さは、この絵からは感じられない。寧ろどことなく落付いた寂しさがこの作品の身上ではないかと思う。題もまた大切だ。》とあった。さすがに写真技術は確かであるようだ。

 


おなじく、『アサヒカメラ』の《俳優撮影写真傑作集》より、大谷友右衛門《愛犬》。渥美清太郎が《なんでも出来る重宝役者。殊に老役と来たら大得意。この出来も老巧と云ってよかろう》と適当に解説しているのに対し、成澤玲川は《「愛犬とその愛犬」とでも題すべき微笑ましい光景である。俳優の愛犬だけに気持見得を切った嫌いはあるが、更紗模様のバックの明暗、そこに映る犬の影など、ひどく味をやりおる。光の扱い方、仕上げなど素人とは思えぬ旨さである。多少拵え過ぎた感はあるが、犬の顔の皺と更紗模様の調和も悪くない。》というような懇切な論評がなかなかいい感じなのだった。《俳優撮影写真傑作集》の101人の俳優のうち、成澤玲川にここまで褒められているのは少数。