民芸のオニールを見に砂防会館に向かう途中、戸板康二は渋谷駅前で古川ロッパに遭遇する。


戸板康二が古川緑波と親しくなったのは、渋谷駅前の酒場「とん平」で知り合ったのがきっかけだった。戸板さんは「とん平」を舞台にしたたのしい話をたくさん書き残しているけれども、さてさて、『あの人この人』所収の「古川緑波の冗句」にこんなくだりがある。

 或る日、東横の渋谷駅前の広場で、緑波さんに会った。その日は仕事もないらしく、五時ちょっとすぎという時間に、一杯飲もうというつもりだったらしい。
 「とん平に行こうと思うんだが、つきあいませんか」というので、私は「いやじつは、これから砂防会館に民芸を見にゆくんです」と答えた。
「何をやっているの?」「楡の木蔭の欲望」「ほう、作者は誰?」というので、「オニールです」といったら、「フルネームで云ってください」との注文。はてなと思ったが、「ユージン・オニール」というと、緑波さんは大まじめな顔をわざと作って、「ははア、オニールは戸板さんの友人ですか」
 これがいいたくて、畳みかけているので、洒落にも三段論法というものがあるのを教わった。

『楡の樹蔭の欲望』の民藝による上演は、砂防会館が昭和32年11月14日~24日までで、そのあと巡回ののち、翌昭和33年1月に砂防会館で再演されている(1月7日から15日まで)。菅原卓の訳・演出、民藝にとっては初めてのオニール。伊藤道郎が舞踊振付をしている。

 

と、「古川緑波の冗句」で語られている砂防会館の民藝公演、オニールの『楡の樹蔭の欲望』のくだりを「私製・戸板康二年譜」に付け加えたいところだけれども、その砂防会館のオニール上演のあたりに、戸板さんに渋谷駅前で会ったというくだりが『古川ロッパ昭和日記』で発見できたら嬉しかったのだけれど、裏付けがとれず残念。でも、そのあたりの日々に、ロッパがさかんに「とん平」に出入りしているくだりが多々あって、ロッパ日記の文字を追っていると、戸板さんの書いていた「とん平」のことを鮮やかに体感できるのが、嬉しい。



『民芸の仲間』第35号(劇団民芸・1957年11月14日発行)。『楡の樹蔭の欲望』上演時の『民芸の仲間』。戸板康二が毎号のように寄稿しているので、それだけで見逃せないのであるが、ほかの記事もおもしろくて、充実の紙面。1950年代ならではの新劇の熱気というか香気というか、新劇のかもしだす雰囲気がいつもなんだか好きだ。



『民芸の仲間』第35号の裏表紙は「森永ミルクチョコレート」の広告。この時期の『民芸の仲間』ではさかんに森永製菓の広告を見る。



民藝と森永といえば、芦田伸介の「クリープを入れない人生なんて……」。というわけで、大橋喜一作『ゼロの記録』劇団民藝公演(朝日生命ホール/1968年5月29日~6月19日)のリーフレットの広告(芦田伸介はこの広告のみで『ゼロの記録』には出演していない)。この年(昭和43年)の8月の『民芸の仲間』第174号から昭和46年12月の第214号まで計41回、戸板康二は「劇場の椅子」と題したエッセイを連載している。ので、メモ。その一部が『夜ふけのカルタ』に収録されている。


せっかくの機会なので、キャーかっこいい! と芦田伸介を拡大。見とれてしまう! 『百人の舞台俳優』(昭和44年5月13日発行)の「芦田伸介」のページで掲載されているのは『開かれた処女地』のイポリット・シャールイの舞台写真(昭和40年)。戸板さんは、ここに

ぼくはテレビを見る時間がすくなく、かならず見る番組はそんなにないのだが、TBSの「七人の刑事」は、よく見ている。そして、最近なくなるこのドラマの刑事の一人として、芦田の渋い演技が、つねに圧巻であった。ハンティングをかぶった芦田が、感慨をこめて、事件の現場に立ち、犯人と対決する姿は、わすれがたい。

と書いている。いいなあ、『七人の刑事』を見たいなア! わたしは今のところ、山本薩夫の『戦争と人間』の芦田伸介が一番好きだ。