宝塚大劇場で『Amour de 99!!―99年の愛―』を見て、戸板康二の見た昭和のタカラヅカに思いを馳せる。

 

先月中旬、2泊3日の関西遊覧に出かけた。その初日の3月15日金曜日はひさびさに休暇をとって、宝塚大劇場午後3時開演の宙組公演を観劇することができて、こんなに嬉しいことはなかった。宝塚大劇場での観劇は去年5月以来2度目だけれども、前回は新大阪からのアクセスが楽という理由で宝塚まで JR で行ってしまったのがいかにも画竜点睛を欠いていて、痛恨のきわみだった。宝塚大劇場へはなにがなんでも阪急電車で行かねばならぬのだ……というわけで、前回の雪辱を晴らすべく、今回はなにがなんでも阪急電車に乗らねばならぬの一念で、行きは今津線、帰りは宝塚線の行程で出かけることとなった。



『六十年の回顧』(竹中工務店、昭和34年2月16日発行)に掲載の宝塚大劇場の周辺写真。宝塚大劇場の古い建物は1992年11月の雪組公演『忠臣蔵』を最後に役割を終え、現在の大劇場は戸板康二の亡くなる1993年1月に開場したから、おそらく戸板さんは新しい大劇場の建物を見ることなく他界したと思われる。旧宝塚大劇場最後の舞台当時の NHK のスペシャル番組を愛宕山の放送博物館で視聴したことがある。チラリとその番組に写った宝塚大劇場最後の舞台『忠臣蔵』は、赤穂藩士一同が歌う「殿が刃傷~♪ 殿が刃傷~♪」という歌が一度耳にすると忘れられないインパクトであった。戸板さんは宝塚の『忠臣蔵』を見たのかな。ぜひ見てほしかったと思う。

 


と、旧宝塚大劇場に思いを馳せつつ、宝塚南口で今津線を下車して、武庫川の鉄橋を渡って宝塚大劇場に向かう。劇場の建物が新しくなっても、宝塚ファミリーランドが姿を消しても、武庫川のせせらぎは永遠であるなあと、心がスーッと安らいでゆくうちに、頭のなかにはおのずと「スミレの花咲く頃~♪」のメロディが流れ、肩から羽根が生えてふわふわと飛んでいるような心境で武庫川を渡って左折して、大劇場の建物に差しかかると、白井鐵造の石碑が目にとまる。そこには「すみれの花咲く頃」の歌詞が刻まれていて、白井鐵造はつくづく偉大であったとジーンとなる。頭のなかでいつまでも「スミレの花咲く頃~♪」を鳴り響かせながら、大劇場の巨大な建物へと足を踏み入れると、たくさんの人びとが客席の開場を待っている。宝塚大劇場はその巨大な建物の内部に売店やレストランがあり、その奥に大劇場の客席入口があるという構造で、武庫川をのぞむ屋外テラスがとっても素敵。大劇場客席への入口には大きく「改札口」と表示がある。初めて宝塚大劇場に来たときは巨大な温泉旅館のようだと思ったものだったけれども、あらためて来てみると、巨大な駅のようでもあるなあと思う。これは、ほかの劇場ないし芝居見物では味わえない、宝塚大劇場独特の感覚だ。

 

タカラヅカ、それは夢の国、さあ、しばし旅に出るといたしましょう! などと思いつつ、無事に大劇場の椅子に到着したところで、このたび観劇したのは宙組公演初日で、演目は石田昌也脚本・演出、ミュージカル・プレイ『モンテ・クリスト伯』と藤井大介作・演出、レビュー・ルネッサンス『Amour de 99!!―99年の愛―』のお芝居とショーの2本立てで、とりわけ、藤井大介作・演出の『Amour de 99!!―99年の愛―』がたいへん興味深いつくりだった。暗い舞台がパッと明るくなり、銀橋に男役スターがずらっと並んでいて、なんという輝かしさ! 『モン・パリ』のおなじみの旋律が流れるという幕開きにすっかり目がウルウル、しょっぱなから大感激だった。


藤井大介作・演出、レビュー・ルネッサンス『Amour de 99!!―99年の愛―』は、プログラムの宝塚歌劇団理事長・小林公一の「ごあいさつ」に、

『Amour de 99!!―99年の愛―』は、今年、誕生より99年を数える宝塚歌劇の長い歴史を彩ったショーやレビューの名作、名場面の再演を織り交ぜたきらびやかなレビュー作品でございます。往年の名作へのオマージュとともに、100周年への架け橋として、宙組のスターたちが愛を込めてお届けする華やかなステージをどうぞお楽しみください。

とあるとおりに、宝塚の歴史を彩ったレヴュウ作者たちへのオマージュに満ちた構成がとても嬉しく、戸板康二の見た昭和の宝塚に思いを馳せるという、ノスタルジックな時間が格別だった。作・演出を担当したの藤井大介氏はプログラムに、

 昭和2年、岸田辰彌先生作『モン・パリ』から本格的に脚光を浴びた宝塚レビューは、様々なチャレンジ精神をもって冒険を続け、今の時代へと続き、大きく飛躍しました。
 宝塚歌劇団は、もしもレビューを上演していなければ99年も続かなかったのではないかと私は思います。
 その時代時代を反映し、数え切れないほどの人々に夢と希望を与え続けた宝塚レビュー。そして敬愛してやまない諸先輩方が汗水流されて懸命に作り上げられた宝塚レビュー。私が言うまでもなく、宝塚のレビュー、そしてショーのなかには数え切れないほどの名作、名場面が残されています。
 まさに「夢の宝石箱」です!

と綴っておられる。『Amour de 99!!―99年の愛―』はまさに「夢の宝石箱」さながらに、《近年に逝去された、ショー作りに携われた5名の演出家の先生方へのオマージュとして構成》した作品であり、ここに登場する演出家は、内海重典、横澤英雄、高木史朗、小原弘稔、鴨川清作の計5名。それぞれの導入にはスクリーンに演出家の先生の顔写真と当時の舞台写真が写し出されるという趣向で、そんなマニア向けのつくりがたいへんわたくし好みであった。登場する演出家のキャッチフレーズと紹介される作品をプログラムを参照してくまなくメモしてゆくと、

  1. 「ムッシュ・ディニテ〈気品〉―内海重典の愛―」:『ザ・レビュー』(昭和52年)より「ザ・レビュー」&『ラ・グラナダ』(昭和40年)より「グラナダ」
  2. 「ムッシュ・エレガンス〈優雅〉―横澤英雄の愛―」:『ボン・バランス』(昭和50年)より「ボン・バランス」&『ザ・ストーム』(昭和57年)より「祈り」
  3. 「ムッシュ・サラール〈暖かさ〉―高木史朗の愛―」:『タカラジェンヌに栄光あれ』(昭和38年)より「タカラジェンヌに栄光あれ」&『華麗なる手拍子』(昭和35年)より「リオのリズム」
  4. 「ムッシュ・ボーテ〈美しさ〉―小原弘稔の愛―」:『クレッシェンド!』(昭和56年)より「愛のクレッシェンド」&『メモアール・ド・パリ』(昭和61年)より「パッシィの館」
  5. 「ムッシュ・ヌーヴォーテ〈斬新さ〉―鴨川清作の愛―」:『ラ・ラ・ファンタシーク』(昭和48年)より「愛の宝石」&『ジャンゴ』(昭和42年)より「Sometimes I Feel Like a Motherless Child」


というふうになり、3の高木史朗の『華麗なる手拍子』の「リオのリズム」では、南国のフルーツをモティーフにした衣裳をまとったスターたちが次々と登場し、ロケットのあと最後に、男役トップスター・鳳稀かなめさんのレオタード姿の「パイナップルの女王」が舞台に君臨して、中詰となる。その「パイナップルの女王」が登場した瞬間は場内(女性率95%)に「おお~!」とどよめきが流れ、そのどよめきにつられてふと隣の客席を見やると、その一帯の観客全員(女性率100%)が微動だにせずオペラグラスで「パイナップルの女王」を凝視しているのがなんとも壮観だった。高木史朗著『レヴューの王様 白井鐵造と宝塚』(河出書房新社、昭和58年7月30日)によると、《私は「華麗なる手拍子」という大レヴューで、男役だった寿美花代を、途中の場で初めて女役に起用し、見事な脚線美を披露させたことがあった》とのこと。この「パイナップルの女王」はその引用なのかも。この作品は宝塚始まって以来の大ロングランとなり、寿美花代の女役がいいと、安藤鶴夫も大絶賛だったという。


そして、エピローグは、

  • 『ハロー! タカラヅカ』(昭和45年)より「子守歌」………主演コンビのデュエットダンス
  • 『ハッピー・トゥモロー』(昭和51年)より「ハッピー・トゥモロー」……娘役群舞
  • 『ポップ・ニュース』(昭和47年)より「愛!!」………黒燕尾の男役群舞
  • 『ザ・レビュー2』(昭和59年)より「TAKARAZUKA FOREVER!」……クライマックスの主演コンビのデュエットダンス

 さらに、最後のパレードでは、

  • 『ヒット・ウエーブ』(昭和60年)より「ヒット・ウエーブ」
  • 『世界はひとつ』(昭和42年)より「世界はひとつ」
  • 『PARFUM DE PARIS』(平成5年)より「PARFUM de PARIS」
  • 『ハロー! タカラヅカ』(昭和45年)より「ハロー! タカラヅカ」
  • 『パレード・タカラヅカ』(昭和48年)より「パレード・タカラヅカ」
  • 『華麗なる手拍子』(昭和35年)より「幸福を売る人」

以上、『Amour de 99!!―99年の愛―』で引用されている過去のレヴュウ作品を列挙してみると、パレードの『PARFUM DE PARIS』が戸板さんの亡くなった1993年の上演作品である以外は、すべて昭和のタカラヅカを彩ったショーおよびレヴュウであった。生粋の宝塚ファンであり、生涯にわたってその舞台をほとんど全部見ていたという戸板康二在りし日の「タカラヅカ」が万華鏡のように提示されたレヴュウであるといえるわけで、一般の宝塚ファンの好みはどうなのかわたしには皆目見当がつかないけれども、戸板康二がきっかけで宝塚を見ることになったわたしにとっては、たいへん嬉しい作品だった。ラストは、中詰と同じく高木史朗作『華麗なる手拍子』が使われている。昭和51年の時点で戸板康二は、

戦後三十年の宝塚の中で、「ベルばら」は別として、最も舞台に活気が充ち、新しい世代のもりあがりを思わせたのは、高木史朗作の「華麗なる手拍子」であろう。

と書いているのだった(「美女列伝」昭和51年11月号→『五月のリサイタル』)。そうか、中詰と幕切れでレヴュウが最高に盛り上がる瞬間に使われている『華麗なる手拍子』は、「ベルばら」以前のタカラヅカの金字塔的作品だったのだなあ! ぜひとももう一度見たい。来たる東京宝塚劇場上演の折りも絶対に見に行く!

 



《宝塚少女歌劇八月月組公演 白井鐵造作『大レヴュウ 花詩集』》(昭和8年)、図録『関西のグラフィックデザイン展 1920~1940年代』(西宮市大谷記念美術館、2008年)より。戸板康二と同じ大正4年生まれで、戸板康二と同じように幼少の頃からの大の宝塚ファンだった高木史朗は、昭和11年に宝塚少女歌劇団の演出家となり、白井鐵造の教えを受ける。その高木史朗による『レヴューの王様 白井鐵造と宝塚』(河出書房新社、昭和58年7月30日)は、白井鐵造のレヴューが実感的に論じられていて、とてもすばらしい。特に「花詩集」の項を読んでいるときの胸の高まりといったら! この大レヴュウに胸を躍らせていた初演当時の戸板青年の興奮が伝染してくるかのよう。



休暇をとって阪急電車に乗って宝塚大劇場に観劇に出かける、というだけでもこの上ない歓喜であるのに、戸板康二に思いを馳せるレヴュウを見ることができて、本当に今日はなんたるよき日ぞやと、閉演後の午後6時過ぎに劇場の外に出ると、阪急宝塚駅までの道は夕闇に包まれている。夜の道頓堀に向かうべくイソイソと阪急電車に乗り込むと、次回の宝塚大劇場公演、雪組の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』(4月19日~5月27日)の中吊り広告が目にとまって、しばし凝視。思えば、わたしが初めて宝塚歌劇を見たのは、東京宝塚劇場における『ベルばら』のフェルゼン編だった。2006年の3月なので、ちょうど7年前。いざ舞台がはじまると、少女時代のマリー・アントワネットがステファンという名の人形を手にしているのを目の当たりにして、大興奮だったなあと懐かしい。


実際に舞台を見るまですっかり忘れていたけれども、昭和49年の『ベルサイユのばら』初演時に植田紳爾が脚本にとりいれた「ステファン」という名の人形は、昭和44年に新演劇人クラブ・マールイにより丹阿弥谷津子主演で上演された、戸板康二作・演出『マリー・アントワネット』のなかに登場するエピソードにちなむということを、戸板さんは嬉々とエッセイに書いていたのであった。昭和49年の初演時から2006年の現在まで、『ベルばら』の舞台には戸板さんゆかりの「ステファン人形」が脈々と受け継がれているのだなア! と、戸板ファン大喜びの瞬間だった。あれから7年かあとしみじみである。今度の雪組新トップの壮一帆さんの主演によるフェルゼン編にも、ステファン人形が登場するのかな、登場するといいなと、梅田に向かう阪急電車のなかで心から願うのであった。

 

(という次第で、次回は、『ベルサイユのばら』における「ステファン人形」について詳述。)