岩波文庫の『ハムレット』に耽溺して、昭和8年の「築地のハムレット」をおもう。


月曜日の昼休みにふと思い立って、岩波文庫の『ハムレット』(野島秀勝訳)を買って、スターバックスのソファでさっそく読み始めたら、さっそく夢中。翌日から朝と昼、コーヒー片手にじっくりと噛みしめるように読みすすめる。こうして突如シェイクスピアに夢中になるときがある。シェイクスピアを読むたびにいつも頭に浮ぶのは、チェーホフの『手帖』にある《教授の見解――大切なのはシェイクスピアではなくこれに加えられる注釈なり》という言葉。この2002年に新訳で発売の岩波文庫の『ハムレット』も、訳者による注釈がもうゾクゾクするくらいにおもしろい。こうして朝と昼に『ハムレット』をチビチビと読んでいると、モンテーニュの『エセー』を読みたくなってくるのも愉し、というわけで、夜寝る前は白水社で3冊刊行の宮下士朗さんの新訳で『エセー』をチビチビと。

そんなこんなで今日の昼休みに岩波文庫の『ハムレット』がおしまいのページになり、あとは解説をあとでじっくりと読みふけろうというところ。日没後、銀座での所用までの空き時間、教文館で本を見る。ちくま文庫の松岡和子訳であらためて『ハムレット』を読んでみようと思っていたけれども、あいにく在庫がなかったので、勢いにのって次は、おなじく野島秀勝さんの訳と注釈で『リア王』(岩波文庫)を読むことにする。こうなったら今月は四大悲劇強化月間にしようかなと思う。前々からの懸案、歴史劇を読んでみたい気もする。

帰宅後、本棚をゴソゴソと掘り起こして、福原麟太郎や吉田健一、中野好夫の本を前に出しておく。シェイクスピアを読むたのしみは詳細な注釈を読むたのしみであると同時に、前々から愛読の英文学者のエッセイを読み直すたのしみにでもあるのだった。……などと、自分内シェイクスピアブームがやって来るたびにいつもなんだかソワソワと嬉しい。



プログラム《昭和8年10月5日から同25日迄 毎夕5時半公演 築地小劇場改築竣成大講演 ハムレット》。薄田研二のハムレット、丸山定夫のクローディアス、滝沢修のポローニアス! 演出は久米正雄。中央公論社の坪内逍遥訳『新修シェークスピア全集』発売とタイアップにした公演で、大ヒットだったとのこと。薄田たちが菊池寛に演出を頼みに行ったら、久米正雄を推薦されてその足で鎌倉に出かけたというくだりが、薄田研二著『暗転』にある。

その薄田研二も演技指導に訪れたことがあったという「青年劇場」という劇団(昭和7年)の文芸部員をしていた野口冨士男は、翌8年紀伊國屋書店の出版部に入社。この『ハムレット』の公演当時は雑誌「行動」の編集者になったばかり。その野口による劇評「築地のハムレット」は去年12月に発売のウェッジ文庫の武藤康史編『野口冨士男随筆集 作家の手』に収録されている(既刊の随筆集『文学とその周辺』にも収録)。


その「行動」に掲載の野口冨士男による『築地のハムレット』を読みながら、このプログラムを何度も眺めている。



三宅周太郎が褒めていたという野口のこの劇評が載っている「行動」昭和8年11月号には「森永チョコレート」の広告。