2012-01-01から1年間の記事一覧
戸板康二の夫人の当世子さんが今年6月末に亡くなられたことを、さる方から教えれらたのは8月中旬だった。 5月上旬に洗足の戸板康二邸が取り壊されたことを知り、同月下旬に更地になった地所を確認にゆき、6月10日に後日の記録のために再訪、6月14日付け…
演博の長い夏休みが終わると、名実ともに秋だなアと毎年思う。と、手帖に大きく「演博」とメモしていた9月22日土曜日、わーいわーいと演博に出かけて、図書室にて懸案の資料の閲覧を済ませたあと、前日にはじまったばかりの《不滅の俳優 池部良の世界展》を…
代々木駅東口、小田急の旧本社ビル、五代目歌右衛門の邸宅の跡地を経て、藤倉電線の千駄ヶ谷工場の碑の前に立ち、戸板康二の父・山口三郎が入社した大正初年代の藤倉電線とその同時代の五代目歌右衛門に思いを馳せて胸を熱くしたところで「千駄ヶ谷」をあと…
2011年6月26日付けの『戸板康二ノート』にて、「戸板康二が幼年時代を過ごした渋谷メモ。代々木山谷と渋谷永住町。」と題して、戸板康二の渋谷時代に思いを馳せたことがあった。戸板康二の代々木山谷時代は、『回想の戦中戦後』の「うまれた町」に、 生まれ…
6月最初の土曜日の夕刻、演博の廊下で入手したチラシで、武蔵野美術大学の美術館で《大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980》(会期:5月14日~6月23日)が開催中と知ってムズムズだった……という次第で、雨降りしきる次の土曜日に…
先月にふいに、Twitter で戸板康二の旧宅の取り壊しが始まったことを知った。近所に住む方による情報であった。いつかこの日が来るとは思っていたけれども、とうとう戸板康二の家がこの世からなくなってしまったのかと胸にぽっかり大きな穴だった。初めて戸…
戸板康二が編集した藤木秀吉の遺稿集『武蔵屋本考 その他』は、一周忌の昭和15年4月28日に刊行され、藤木秀吉が蒐集にのめりこんでいた遺愛の「武蔵屋本」とともに、演博に寄贈された。 藤木秀吉著・戸板康二編『武蔵屋本考 その他』(非売品、昭和15年4月…
「日本の古本屋」にアクセスするたびにいつもなんとなく検索したりしなかったりする固有名詞がいくつかあって、そのなかのひとつに「藤木秀吉」がある。そして、不覚にも今まで知らなかった文献に遭遇したときはびっくりするあまりに、号数をメモして後日に…
先日、ふらりと立ち寄った教文館で、矢野誠一さんの新刊を発見して、ワオ! と手に取って目次に目を通すと、近年にいろいろな媒体に寄稿したエッセイ、追悼文等を編んで一冊の本になったもので、事前に刊行をまったく知らなかったので、思わぬタイミングで贈…
先日、神保町シアターの高峰秀子特集で、長年の懸案だった『チョコレートと兵隊』を見ることができた。とにかくも、やっと実見できた喜びが第一。その記念に、以下、『チョコレートと兵隊』の覚書とともに、戸板康二の明治製菓宣伝部時代にちょいと思いを馳…
子どもの頃からの芝居好きだった戸板青年が新劇に出会うのは、昭和7年、慶應義塾予科に入学以降のこと。戸板青年の心をまっさきに揺さぶったのは飛行館の築地座の田村秋子だったようであるが、昭和9年に新協劇団が旗揚げされると滝沢の演技に心酔するよう…
去年9月、ハヤカワ演劇文庫で岸田國士作品集の第1集が出ているのを本屋で発見したときはとても嬉しくて、ガバッと買ってホクホクと1篇ずつじっくりよみふけった。前からそこはかとなく気になっていたハヤカワ演劇文庫を読んだのはそのときが初めて。手に…
お正月の記憶が薄れかけてくるころになると、毎年ふいに、野菜売場で菜の花を見かけるようになる。野菜売場で菜の花が初めて視界に入ったときの毎年の歓喜! 毎年2月は毎日のように菜の花を食べている。まだまだ寒いのに春が近づいてきて、強風吹き荒れたり…