第13回みつわ会公演・久保田万太郎『水のおもて』『燈下』を見る。


久保田万太郎に耽溺したのは2001年年末に読んだ『春泥』がきっかけだった(もともと俳句は大好きだった)。万太郎に開眼した直後の翌2002年1月、文学座アトリエで加藤武主演で『大寺学校』を見物したのは(「洗亭忌」1月23日に観劇)、今でもとってもよい思い出になっている。その折の文学座アトリエにて、みつわ会の久保田万太郎上演のことを知って、2ヶ月後の3月にイソイソと見物に出かけた。以来、毎年3月は、京浜急行の新馬場駅が最寄りの六行会ホールにて上演のみつわ会の久保田万太郎公演を観劇するのが恒例となった。3月の上演が近づくと、書棚から全集を取り出して戯曲の文章を熟読玩味するのだけれども、そのついでに全集のあちらこちらの万太郎を読み返すことにもなる。そのため、2月は久保田万太郎強化月間と化していて、それもまた毎年の恒例なのだった。


そんなこんなで、今年もみつわ会の久保田万太郎公演を無事に観劇できて、嬉しい。『水のおもて』は、2002年3月に初めてみつわ会を観劇した折に上演されていた戯曲なので、愛着たっぷり、なおのこと嬉しかった。2002年3月の上演はたしか初の舞台化ではなかったか。大正2年3月の「三田文学」が初出の、久保田万太郎の初期作品。戯曲としての完成度がすばらしく、独自の万太郎の世界はすでにしっかりと確立されている。と、戯曲を読んだだけで満喫だったけれども、実際に舞台を目の当たりにすると、文字を読んだだけではわからなかった空間そのものの面白さをジワジワと体感して、格別だった(2002年の上演の時は、柱時計の秒針音は通奏低音という感じで、なるほどと思った)。


今年は初日に出かけることにして、夕刻、イソイソと品川へゆき、京浜急行の各駅停車を新馬場で下車。ちょっとばかし時間が余ったので、新馬場駅前のドトールで休憩。このドトール、みつわ会観劇のたびに足を踏み入れる、年に一度のドトール。初めての観劇のときはこのドトールはなかった。ある年、1年ぶりに新馬場に降り立ったら目の前にドトールがあるので、喜びのあまり思わず小走りしたものだった。


今年の上演は、『水のおもて』ともう一つは『燈下』。『燈下』の初出は「中央公論」昭和2年4月。大正2年の「三田文学」が初出の『水のおもて』と、『大寺学校』と同年の『燈下』。初期ともっとも脂ののった時期との二つの作品を舞台で見られるという粋なはからい。このたびの上演を前にして、それぞれの時期の久保田万太郎を読み返すことができて、格別だった。


『水のおもて』はあらためて見てみると、しみじみ久保田万太郎の戯曲が手だれだなあと感心することしきりだった。明日になるとすべてが破綻する前夜の浅草の老舗の小間物屋の夕刻から夜半までの情景。それぞれの登場人物がそれぞれに「明治の東京」、老舗の旦那や番頭、芝居茶屋の男、奉公人やかつての奉公人、新聞記者、おかみさんにお嬢さん、頑固な職人と健気なおかみさん……などなど、それぞれの「型」にはまった人物描写と明治の下町の風俗描写(芝居の番付をたのしむ奉公人や人力車で観劇から戻るお嬢さんなど)がキチッと確固な世界。でありながらも、チェーホフ的なところなど、万太郎戯曲に通底する独特のハイカラさが見事で、登場しない人物(今回は二人)が物語に影をおとしているところなども万太郎得意の手法で、一言では言い表せないような五臓六腑にしみわたる滋味をしみじみ満喫だった。


『燈下』も万太郎独自の世界。こちらもまずは戯曲そのものがしみじみ手だれで、これまた感心することしきり。万太郎得意の複雑な家族関係がモチーフになっている。舞台は夜8時の今戸の左官の親方の住居。実際の上演時刻と同じなのが嬉しかった。『水のおもて』と同様に一幕劇なのだけれど、端正な舞台装置が見事で、朗読劇とは違った舞台空間の面白さもなかなかのもの。いままでのみつわ会の上演を見てきた感想は、万太郎戯曲は男性よりもむしろ女性描写が難しいなあということだったけれど(特に花柳界の女性)、『水のおもて』と『燈下』、それぞれの女性登場人物がそれぞれになかなかよかった。『燈下』の病み上がりの左官の親方の菅野菜保之さんが見事であった。


……などと、久保田万太郎愛読者の歓びの根幹に触れることができて、毎月3月のみつわ会上演は本当に嬉しい。これから先もずっと毎年2月は万太郎強化月間にしたいなと思う。

 


「アサヒグラフ」昭和9年3月7日号掲載のグラビア、歌舞伎座の3月狂言、羽左衛門と左團次の『弁天小僧』の下に、築地座の「大寺学校」の舞台写真。友田恭助の大寺校長、田村秋子の姪、中村伸郎の峰、東屋三郎の光長。築地座の創立二周年公演。昭和9年2月15~18日上演。