福原麟太郎による、戸板康二『忠臣蔵』紹介メモ


先月は、岩波文庫の新刊、サミュエル・ジョンソン/朱牟田夏雄訳『幸福の探求 アビシニアの王子ラセラスの物語』を機に、長年の懸案だった、福原麟太郎著『ヂョンソン』新英米文学評伝叢書(研究社、1972年)を精読する運びとなって、嬉しいことであった。勢いにのって、『福原麟太郎著作集』の端本を数冊か図書館から借り出して読みふけっては、これまた「ホクホク」という言葉がぴったりのひとときを過ごした。福原麟太郎はここ数年にわたってチビチビと買い揃えてきているので、著作集で読む文章は再読のものの方がずっと多いのだけれど、あらためて読み返すことであらためて目を見開かされること多々なのはいつものこと。福原麟太郎の著作集をごっそりと持ってしばらくどこか涼しいところに隠居したいなと夢想するのもたのし、だった。でも、ラセラス王子がその旅の途中で出会う隠者のように、すぐに「明日にも娑婆に帰ろう」という心境になってしまういのは間違いない。福原先生は、ジョンソン博士の小説はとても下手っぴだけど、この隠居老人の部分は痛快だと書いていたのだった。


と、前置きが長いのだったが、図書館で借りだした著作集で、『本棚の前の椅子』所収の文章にある、《今日、戸板康二さんの『忠臣蔵』という名著を読んでいたら……》と七段目における「歌舞伎芝居の用意」について言及したあと、

戸板さんの本は、たしかに名著である。よく調べて丹念に知識を集めてあることはもちろんだが、戸板さんは、自分の知り得、集め得た『忠臣蔵』についての諸知識を、人に教えようとか、ベスト・セラーを作ろうとかいう余計な考えなしに、ただ自分で纏めて置こう、散逸しないように、史実は史実、義士銘々伝は銘々伝、芝居の歴史、演出の方法と、一つところに系統的に連関させて書きつけて置こうというつもりで、この本を書いたようだ。そして、いかにも芝居が好きで、嬉しそうに骨を惜まずに書き留めている。それがこの本を名著たらしめたのではあるまいか。

 

(連載「本棚の前の椅子 第三回 美の典型」/初出:『文學界』昭和33年6月号)

 と、戸板康二の『忠臣蔵』への言及に数年ぶりに対面した瞬間は、ことのほかぐっと胸に迫るものがあった、ので、ここに抜き書きする。なんでもないようでいて、本当に胸にしみる。戸板さんもさぞ嬉しかったことであろう。



福原麟太郎『本棚の前の椅子』(文藝春秋新社、昭和34年5月25日)。装幀:花森安治。福原麟太郎を読むようになって最初期に買った本でいまでも愛着たっぷり。『劇場の椅子』、『作家の椅子』、『二つの椅子』、『古い革張り椅子』……などなど、「椅子」の付く本は好きな本が多いなあ。福田恆存著『坐り心地の惡い椅子』というのもずっと気になっているが、いまだ機会がない。