浅田飴を買って、『演芸画報』と『ヨシモト』の広告をおもう。堀内敬三の『ヂンタ以来』が届いていた。


朝起きると、ノドの奥がそこはかとなく風邪っぽい。なんということだ、なんということだ、大いに養生しなければならぬと、季節はずれの生あたたかい空気のなか、早朝の台所でメラメラと養生への決意に燃える。昼休み、イソイソと薬局へゆく。浅田飴(ニッキ味)を買う。風邪の気配を察知すると、いつもおまじないのように浅田飴をなめているのだった。この冬初の浅田飴。

浅田飴というと、まっさきに思い出すのが、岩波現代文庫の『歌舞伎 ちょっといい話』の犬丸治さんの解説。

 戸板先生は本書で、「その昔、浅田飴では『先代萩』の政岡と千松が広告に使われていた。何故か分からない」と記しておられる。先生に私の「迷答」を捧げたい。泉下でどんな顔をされていることか。
「だって先生、『浅田飴ニッキ』というじゃないですか」。

というわけで、わたしは浅田飴はかならず「ニッキ」と決めている。

そのへんに置いてあった『演芸画報』から浅田飴の広告を(昭和12年3月号)。

「たんせきに浅田飴すき腹にめし」を拡大。

しかーし、浅田飴の広告は、「演芸画報」よりも「ヨシモト」の方が断然おしゃれなのだった。

これは昭和10年10月号の広告。でも片隅にはかならず「たんせきに浅田飴すき腹にめし」印がある。そして、「ヨシモト」の場合、タイアップ的な広告に見どころたっぷり。たとえば、昭和12年12月号の広告には花月亭九里丸登場だ!

私達は夜更し致しますので、
風邪をひき易く、直ぐ咽喉
を害ねますが、そんな時に
浅田飴を服みますと、
舞台で喋べるのも、ほんま
に楽々と演れますので
喜んでまンね。ヘッヘッヘッ

 

 

日没後、浅田飴をなめながら、イソイソと帰宅。家事もろもろを大急ぎでかたづけて、9時就寝。注文していた堀内敬三『ヂンタ以来』(アオイ書房、昭和10年1月20日発行)が届いていたのだけれど、今日は開かずに寝てしまう。浅田飴の御曹司、堀内敬三。なんとも出来すぎな展開!

徳川夢声の『くらがり二十年』と『閑散無双』に引き続いてアオイ書房より刊行のこの本。「映画」と「音楽」ではじまったアオイ書房。久保栄の『小山内薫』で、「映画」と「音楽」に早くより親しんでいた小山内、のくだりがとても深かった。映画とあわせて、日本近代文化史における「音楽」についてちょっと考えたいところ。