戸板康二作・中村雅楽シリーズ初のテレビドラマ化、昭和34年8月放送『尊像紛失事件』のこと(第3回)。

 

以下は、昭和34年8月26日午後10時から30分間放映の「夜のプリズム」シリーズでテレビドラマ化された、戸板康二作の『尊像紛失事件』のメモ、第1回、第2回の続き。


不覚にもずいぶんひさしぶりの更新となってしまった上に、前回に記載の配役に誤記があったので、まずは、配役をもう一度記載。


雅楽:英太郎
竹野さん:金田龍之介

小半次:松本高麗五郎
与七:中村吉十郎
その妻:宮内順子
半九郎:中村万之丞
女客:南美江
吉田:久門祐夫
為さん:伊吹武
浪さん:中田舜堂

半九郎の附人(床山、衣裳係、男衆)
頭取50才:近藤隼
荒田:奥野匡
小道具係:山口正夫
医者:高橋(名字のみ記載)
出前持:荒木一郎
看護婦:谷口香
その他・劇場の人 多数

 

 

 

と、台本の配役ページはこのようになっている。

 


さて、全16場にわたる『尊像紛失事件』、松本高麗五郎扮する芳沢小半次の楽屋で文字通りの「尊像紛失事件」が勃発した第3場に続く、続く第4場は「劇場の監事室」。「和服姿の雅楽と、開襟シャツの竹野記者が、附人の吉田の話をきいている」(以下、"「」"は戌井市郎脚色の抜き書き)。事件の勃発した「××劇場」のこの月の興行は、

〈昼の部〉
一、小松殿 一幕
二、源平布引滝(実盛物語)
三、桂川連理柵(帯屋)
四、のみ取り男(おどり)
〈夜の部〉
一、信州川中島合戦(輝虎配膳)
二、根岸の一夜
三、隅田川続俤(法界坊)
四、双面水照月(おどり)

という狂言立てであり、事件の勃発は昼の部の『実盛物語』の上演の最中のこと。監事室で附人の吉田(久門祐夫)から事件の経緯を聞いた、老優・中村雅楽(英太郎)と某新聞の演劇記者(金田龍之介)は、小半次が『法界坊』までは体があいていると聞いて、その楽屋へ行ってみることにする。探偵を買って出た格好の雅楽だった。戸板康二の原作では、事件の勃発のあと、竹野記者が親友の江川刑事を呼ぶ。《これはあくまで内密に処理したいというのが、小半次の切なる願いだった。つまり、仏像の所有主に、この事件を知らせたくなかったのである》(以下、"《》"は戸板康二の本文の抜き書き)。盗まれた阿弥陀如来は小半次が新作脚本『小松殿』で使用していた小道具であり、《自分の持ち物でなく、元大名華族で彼をひいきにしてくれる客が、家宝を貸してくれたもの》であったので、何分内密にしたい小半次だった。というわけで、江川刑事も個人として捜査を引き受けた次第だった。

 

と、戸板康二の原作では江川刑事がこのあと、いろいろと聞きこみを元に推理をするくだりが続く。が、いずれも結局《何の成果ももたらさなかった。》という結果に終わる。そのひとつが、紙芝居屋。尊像が盗まれた小半次の楽屋の窓際に立つ白いワイシャツを着た怪しい男が、向かいに住む与七に目撃されたちょうどそのとき、路上では犬が車に轢かれるというちょっとした騒ぎがあった。よって、犬の轢死事件と尊像盗難が同じ時刻であると推理できるのだったが、その《犬がひかれた時に、紙芝居の絵は天狗の面をアップにした出した図柄であった》という証言を得る。《このさわぎで、紙芝居はその場所での「興行」を打ち切って、ほかへ移動したのだが、附近の人の中で、飛び出した時に、近頃映画のシネスコをまねて横に大きく拡がった画面に、天狗の顔が出ていたのをおぼえている者が二名あった》。

 その紙芝居は、八丁堀に事務所があり、親方の下で働く八人の者が、中央区の旧京橋区東部をまわって、営業する。朝九時に親方の所へ来た八人は、道具を借り、子供たちに売る飴類を仕込んで、街に散るのである。
 劇場の附近をまわって来る中山という四十がらみの男にきいてみると、毎日のコースは、刑事の予想どおり一定していた。
 彼は八丁堀、築地明石町、小田原町とまわって、勝鬨橋の遮断される時間に本願寺の遊園地へ来て、弁当をつかう。十二時半にみこしをあげて、劇場の裏に来ると、いつも四十分だというのだ。
 拍子木の音で集って来る子供たちの前で、一席はじめるのが、それから約十分ということで、この日は始める前に彼が時計を見て、一時十分前だったのを覚えている。

作中の「××劇場」は東京劇場をイメージしているらしいということがなんとはなしに感じられるのが嬉しい。昭和19年から敗戦後の昭和25年までの日本演劇社勤務時代の戸板康二の職場は、築地本願寺にも東京劇場にもほど近い場所に位置していたから、この場所は戸板さんにとってもおなじみの町並みだった。作中の紙芝居屋のように附近を散歩したこともあったかもしれない。勝鬨橋の遮断される瞬間を目の当たりにしたことも何度もあったことだろう。

 



桑原甲子雄『東京 1934~1993』フォトミュゼ(新潮社、1995年9月25日)より、1950年代の東京の町かどの子供たち。戸板康二と同世代の桑原甲子雄の東京写真を、戸板康二の書く「東京」を思うとき、いつもなんとはなしにイメージしている。

 


『尊像紛失事件』の書かれた1950年代後半の風俗として「近頃映画のシネスコをまねて横に大きく拡がった画面」の紙芝居が登場しているのも非常に興味深い。テレビ放送が本格化しようとしているこの時期はそろそろ紙芝居が斜陽化している時期でもあった。……という感じに、中村雅楽シリーズでは推理小説のプロットに添えられた一見なにげない記述が味わい深いことがままある。この作品では、たとえば「紙芝居」「民放局による舞台中継」というふうな、中村雅楽シリーズにおける昭和風俗をフィールドワークよろしく採集してみたら、楽しいかもしれない。


『尊像紛失事件』は、デビュウ作の『車引殺人事件』に次ぐ第2作だった。その『車引殺人事件』では、幕開けと同時に「監事室」が登場している。

 偶然にも、その日、私は監事室の椅子にかけて、芝居を見ていたのだった。監事室というのは、大劇場の客席の後方、まれに「仮花道」のつく場所にある小部屋である。そこには常住、舞台を監督する劇場事務員が詰めていて、幕があいたあと、例えば一文字おちう垂れ幕が張物に引っかかっているとか、照明が暗すぎるとかいう故障を、屋内電話で、舞台裏に連絡するのだ。正面から見ないと、こうした欠点は判らないのである。(もっとも、この監事室の機能は、案外劇通を自認する観客も知っていないように思われる)
 監事室には、劇場屋内の特殊な電話があり、ダイヤルの操作で、楽屋裏の電気室、大道具部屋、頭取部屋などに通じている。

と、『車引殺人事件』の冒頭でさっそく紹介される監事室は、続く第2作の『尊像紛失事件』でも、事件発生の日、雅楽と竹野記者は「偶然にも」監事室にいたのだった。中村雅楽シリーズでは監事室はこのあともずっとおなじみの存在である。自らの作品に監事室のことを書くときに、戸板康二の脳裏に浮かんでいたのは川尻清潭であったにのは間違いあるまい。事実、のちに戸板さんは、《雅楽の謎ときのしゃべり方には、岡本綺堂の「半七捕物帳」の三河町の半七の口ぶりも、どこか借りてはいるが、ぼくが親しく昔の芝居の話を聞かせてもらった、歌舞伎界の古老川尻清潭さんの調子も、はいっているようである》(『雅楽探偵譚1 團十郎切腹事件』(立風書房・昭和52年9月初版)巻末の「作品ノート」)と書いているのだった。


テレビドラマ版『尊像紛失事件』においては、監事室はこの第4場と第11場に登場する。監事室のスチールがないのは残念であったが、戌井市郎の脚本では、探偵役を買って出た雅楽と竹野記者が監事室を出て小半次の楽屋へ向かったあと、「監事室の青年、荒田が受話器をとる」シーンが続く。荒田に扮するのは奥野匡。

「はい、監事室です。……あ、頭取、とんだことでしたね。……えゝ、いま下りていきました。………まるで申し合わせたように、名探偵お揃いで布引を見てましてね。えゝ、雅楽さんと、都新聞の竹野さん………ええ、………舞台の方は大丈夫でしような。時間通りに進行願いますよ。………えゝ……」

というふうに、監事室の青年(奥野匡)と頭取部屋の頭取(近藤準)が《劇場屋内の特殊な電話》で上掲の会話を交わしたあと、次の第5場へとカメラが切り替わる

 

第5場は、小半次の楽屋。「鏡台の前に、小半次、顔を落としている」、「部屋の中に雅楽、竹野、吉田、為さん」が座っているところから場面ははじまる。小半次が竹野さんにどうか事件のことは内密にと頼んでいる。事件の発生は《もう三年ほど前の九月の二十日》に《××劇場の興行が、あと五日で千秋楽という時》に起こったのだった。「楽まであと五日のうちに、草の根を分けても探し出して、無地にお邸にお届けしたい」と必死の小半次であった。原作の江川刑事への依頼が戌井市郎の脚本ではここに踏襲されている。

 

と、そこに、第2場において、劇場の向かいの自身の住居の2階の窓から唯一事件を目撃していた、の《型物を演じさせたら近世の名人》の藤川与七がふらっと楽屋に入ってきて、「とんだことだね、小半次さん、仏像が盗まれたって……?」と言い、自身が目撃した白いワイシャツを着ていた男について証言し、第2場での経過を一同に説明する。竹野さんの質問に対して、小半次はいつも楽屋にいるのは、尊像の盗難現場を目撃後に軽い脳溢血で失神状態となってしまった男衆の浪さん(中田舜堂)、附人の為さん(伊吹武)と吉田(久門祐夫)の3人であるものの、「他に床山や衣裳の人がしよつちゆう出入りしている」と答える。為さんも吉田も白いワイシャツを着ており、「二人のワイシャツの男は困ったような顔をしている」。吉田は小半次の夫人の実弟でもあった。「まあ、この二人は、あたしについて裏で、あたしの引っこむのを待ってる役があるから……」と、事件発生のときは、二人は瀬尾を演じている小半次が引っ込むのを舞台裏で待っていたはずだと言う話を小半次から聞いた竹野記者は、「急に思い立って」、浪さんの寝ている部屋への案内を頼み、吉田とともに小半次の楽屋をあとにする。

 

 


第5場の与七が登場するくだりの台本。上の余白に「小半次バスト」「竹野半身」「MS」「小半次 FF」「与七バスト」……と1、2、3の番号とともに、細かくメモされていて、3台のカメラが俳優たちを撮影しているさまとその演出の様子を想像することができる。

 

そして、第6場は「別室」。「医者が浪さんの脈をとっている」。

 

第6場のスチール。軽い脳溢血で寝ている浪さん(中田舜堂)、医師を演じる俳優は台本には「高橋」としか表記されていない。ナースは谷口香。右に金田龍之介演じる竹野記者と小半次の義弟で附人をしている白いワイシャツを着た吉田(久門祐夫)。このスチールはリハーサル時に撮影されたもののようで、カメラが写りこんでいる。

 

竹野記者には「意識はまだ?」と尋ねられた医師は、「ぼんやり取り戻してはいますが……」と答える。第5場で与七から白いワイシャツの男について聞いた竹野記者は、浪さんから事件のことを聞き出したくて、もどかしいのだった。しかし、質問したくても、医師に「一寸、まだ」と制止される。すると、浪さんはかすかに右手を動かす。「恐縮ですが、その右手の指をちょっと開かせてみてくれませんか」と言う竹野記者に、「医者、浪さんの拳から指を一本一本開かせる。ボタンが落ちる」。そして、そのボタンを竹野は受け取る。これは事件発生のときに、犯人が来ていた白いワイシャツのボタンだろうか? 医師からボタンを受け取った竹野記者の後ろで、神妙にうつむいている吉田である。

 


第7場は「小半次の楽屋ののれん口」。まず、「白いワイシャツの男が中をうかがっている」後姿が映し出される。事件の発生当初から怪しい人物として印象づけられている「白いワイシャツの男」がいよいよ登場か! と視聴者が思ったところで、頭取(近藤準)が登場し、「おい、何をしてるんだ、金永園」と声をかける。その白いワイシャツの男は、荒木一郎扮するそば屋の出前持であった。この荒木一郎はあの荒木一郎であろうかということが気になって仕方がない。文学座の線で荒木道子のコネ出演ということは大いに考えられるのであったが、この場のスチールはなく確証がないのがかえすがえすも残念。結局、出前持は勘定をとりに浪さんのところに来ただけだった。念のため、頭取は岡持のなかをたしかめるのだったが、尊像など入ってはいなかった。様々な人びとが出入りする、密室と雑踏の両極の要素をあわせもつ劇場の姿を視聴者に印象づけるシーン……だと思われる。

 


その頭取が小半次の楽屋に入ったところで、第8場はふたたび「小半次の楽屋」。第4場で監事室の青年が電話でしゃべっていた頭取はこれまで、「隅から隅まで、小道具部屋から床山、衣裳部屋、大部屋の押入という押入、棚という棚、機械室から、風呂場、便所、ゴミ箱に至るまで探しました」と小半次に報告する。仏像はどこに消えたのか? が、仏像が劇場の外には出ていないことだけは確実であるという。「楽屋の出入りは厳重にしてますし、客席からの出入口には番人がついてるんですから」と頭取は言う。これはいったいどうしたことだろう。仏像の持ち主の元華族の細島氏はずいぶん敵が多いというから単なるいやがらせなのだろうか、売りに出せばすぐに足がついてしまうし……などと、小半次と与七と雅楽、3人の歌舞伎役者がぶつぶつしゃべっていると、第6場の浪さんが寝ている別室から竹野記者が、「浪さんの握っている手からボタンが出て来ました。」と言って戻ってきて、「一同、色めく」。

 


小半次、附人の為さんと吉田、雅楽と竹野記者、与七の6人がいた第5場の最後で、竹野記者が吉田の案内で浪さんのいる部屋へと移動し、そして、第8場に頭取がやってきて、そのあと、竹野記者と吉田がもどってきて、竹野記者の持ち帰ったボタンを一同が注視している場面。「これはワイシャツのボタンとみていいですな。犯人ともみ合ってるうちに、浪さんがもぎとったものに間違いありません」という竹野記者のセリフを受けて、雅楽は「すると、与七さんが、みたという、その白いワイシャツの男だね、ホシは」と確信する。



戸板康二作・中村雅楽シリーズの初の実写化である『尊像紛失事件』は、歌舞伎役者の中村雅楽を英太郎、竹野記者は金田龍之介が扮していて、いずれも当時は新派の役者だった。大江良太郎「新派の人々 その十三 金田龍之介」(『演劇界』第20巻第10号・昭和37年9月1日)によると、大阪にいた金田龍之介が新派の入団を申し込んできたのは昭和30年9月、武智鉄二の推挽もあったという。そして、新派に籍を置いた最初の舞台は昭和31年4月明治座の『赤線地帯』だった。学生時代、金田龍之介とは演劇仲間だった庄野至は、昭和27年新日本放送(現毎日放送)に入社して、梅田の阪急百貨店の屋上の放送局でラジオ番組の制作に携わっていた。そのときの経験が綴られた、庄野至著『屋上の小さな放送局』(編集工房ノア、1998年9月7日)では、金田龍之介の好漢ぶりがとても印象的だった。

戦後の学生時代から、なぜか気が合い、一緒に縄暖簾で安酒を飲みながら演劇を語り合っていた彼が、この四月からあの華やかな、僕らの遠い存在の水谷八重子の新派に参加する。僕らにとって、仲間の一人が大阪からいなくなることは寂しい。けれど、彼のことを思うと、感傷的に寂しがってはおられない。

というふうにして、庄野至らに送られて、東京に乗り込んだ金田龍之介。この『尊像紛失事件』のスチールで、大阪から出てきて新派に入団して3年ほどのまだまだ若い金田龍之介の偉丈夫な姿が映っているのが極私的に嬉しい。それから4年後、大江良太郎は「新派の人々 その十三 金田龍之介」で《昨年大阪朝日放送が芸術祭の文部大臣章を得たテレビドラマ "釜ヶ崎" で、金田の前途が急に晴れたような気がする。》と書いている。テレビドラマの世界でも着実にキャリアを重ねていった金田だった。

 

 


『WILL』昭和57年6月号に掲載の、新橋演舞場の前に立つ金田龍之介と三國一朗の写真。同年4月2日に新装開場して今日の姿となった新橋演舞場、わたしがただ一度金田龍之介の舞台姿を見たのも、演舞場の先代猿之助のスーパー歌舞伎だった。実にかっこよかった! と今でも懐かしく思い出す。

 

さて、長々と書き連ねている、この『尊像紛失事件』メモは、あと1回続く。次回最終回は、今年1月に亡くなられたばかりの吉之丞(当時万之丞)の若き日の姿を眺めつつ、その面影をしのびたいと思う。