初日の歌舞伎座の三階席で『道明寺』と『石橋』を見る。


夕刻、へなへなと外に出て、歌舞伎座に向かって早歩き、ゼエゼエとなんとか開演10分前に歌舞伎座に到着。到着したとたん、平日の日没後の歌舞伎座はひさしぶりだなア! と気持ちが高揚。三階席も実はひさしぶりなのだった。分不相応にこのところつい1階で見ていたけど、わたしにとって歌舞伎座といえばやっぱり3階B席。この階段が懐かしいなア! と赤い階段を上って上機嫌、イソイソと自分の椅子に向かうその途中、オリエンタルカレーの人形の前を通りかかり、しばし立ちどまって、眺める。新しい歌舞伎座が完成のあかつきには、また戻ってきてほしい(カレーには縁がないけど)。



路上観察学会『昭和の東京 路上観察者の記録』(ビジネス社、2009年2月1日)のカヴァーの折り返し部分に描かれている、南伸坊による「オリエンタルカレー」のホーロー看板。

 


歌舞伎座の椅子に座ったとたん、日中の疲れがスーっと消えていったところで、開演までの待ち時間、持参のエヴィアンをグビグビ飲みつつ、チラシを眺める(筋書は節約)。玉三郎は苅屋姫ではなくて覚寿であったかッ、こりゃ嬉しいわいと、当日になって急にたのしみになる。『道明寺』も『石橋』のいずれも二度目の見物、『道明寺』は『菅原』の通し上演のとき2002年の2月以来で、前回『石橋』を見たのは中村大初舞台、2001年4月だったとハッキリ覚えている。この2001年から2002年にかけてくらいが、わたしにとってもっとも歌舞伎に夢中だった時期だった。あのときの『菅原』はたいへん満喫であった、あのときの『筆法伝授』の富十郎の武部源蔵と『寺子屋』の吉右衛門の松王丸と富十郎の源蔵を思い出しただけで、もうとたんにうっかり涙目だ。現在もなんとなく惰性でたまに芝居見物をしてはいるけれども、何を見たかはすぐに忘れてしまっている一方、ずっと前に見た芝居のことは、『菅原』に限らず今でもとっても鮮やかに覚えている(まさに老化現象)。あの頃はたのしかったなアと、「歌舞伎」にそれほど入れ込んでいない現在のわが身を思って、そこはかとなくノスタルジーなのだった。

 

 

そんなこんなで、現在の舞台を見つつも昔のたのしき芝居見物を思い出し、それだけでジーンと感激すること請け合いだし、午後6時開演で平日でも見物に来られるのがありがたい、というわけで、見逃さないうちに初日に見物にやってきたところで、まずは『道明寺』。玉三郎が覚寿だと当日になって知ってますますたのしみになっていたら、立田の前は秀太郎ですかッと、これまた当日になって知り、秀太郎を見るといつもなぜだかそこはかとなく嬉しいので、さらにますますたのしみになった。と、ますますたのしみになっていたら、この上演は「十三代目片岡仁左衛門十七回忌 十四代目守田勘弥三十七回忌追善」と冠してあることを当日になって知ったのであった(せっかくなら「奴」は愛之助で見たかった気も)。

 

『道明寺』は、仁左衛門が初めて登場するシーンが、あとで木像でびっくりという展開を知って見ているということもあるのだけれど、白い装束のいかにも人間ではないようなソロリソロリとした身体の動きのサマが実にすばらしく、こ、こんなにまですばらしいとは思わなんだッと、ゾクゾクっと怖いくらいだった。そうだった、十年近く前にみた『菅原』の通しの折も、こんな感じにゾクゾクっと興奮していたのであった、と急に鮮やかに思い出して、ますます見物のボルテージがあがった。あとになって登場の本物の(?)菅丞相がまた、「仁左衛門の風格」の一語に尽きる素晴らしさ。玉三郎の覚寿との舞台で、いかにも「十三代目片岡仁左衛門十七回忌 十四代目守田勘弥三十七回忌追善」という言葉にふさわしい厚みのある空間が現出し、ノスタルジー気分で深い考えもなくふらりと見物に来たわりには、今回の『道明寺』もノスタルジーにとどまらない興奮があって、せっかくの6時開演なので、せめてもう一度くらい見に来たいなと、見物後ますます興奮だった。

 

と、『道明寺』をみっちり見物した身体をほぐすべく、三十分間の幕間には食事もそこそこに劇場内の歩行にいそしみ、最後、三階下手側の「想い出の歌舞伎役者たち」のパネルを眺める。いつもここのソファで弁当を食べながら、次の写真は誰になるかななどと思っていたものだった、とひとり懐かしんだところで、開演五分前のベルが鳴った。

 

『石橋』は、幕が開いただけでジーンと感激、長唄が耳に心地よく、身体全体でスーっとリラックスで、この第三部の『道明寺』との狂言だてが思っていた以上にいいものだなと思った。『石橋』は「富十郎親子の風格」の一語に尽きる空間をとにかく満喫。『道明寺』ともども、歌舞伎座の「空間」といったものを、ひさびさにまざまざと感じたように思った。この、歌舞伎座独特の空間のようなものを、なんといっていいかよくわからないけれども、でも、ちょっと忘れられない感覚。とにかくも、深い考えもなく見に来たわりには、なかなかズッシリと深い余韻だった。

 

2001年4月の中村大初舞台の折には緞帳にウサギの絵が描かれていて、大ちゃんは戸板康二と同じウサギ年なんだなあと思ったものだったけど、早くも来年がウサギ年、月日のたつのは早いことよ(詠嘆)、としみじみとなったあとで、「馬齢を重ねる」の言葉がぴったりのわが身を思ってうなだれつつ、劇場の外に出た。そして、菅原のおさらいをせねば! と書斎で演劇書を繰るべく、大急ぎで家路をゆくのだった。