はじめに 昭和7年4月、慶應歌舞伎研究会に入会する 慶應歌舞伎研究会の機関誌『浅黄幕』 『浅黄幕』復活号(昭和7年11月)に載った青年歌舞伎の劇評 (2023年11月16日:末尾の注釈欄に訂正と追記を記載しています。) はじめに 1930年代新宿の青年歌舞伎につ…
はじめに――川向うの劇場、Old Vic と本所寿座 戸板康二と寿座(寿劇場)とその回想をめぐって 「〈思い出の劇場〉寿劇場」と「〈ロビーの対話〉小芝居回想」 戸板康二の寿座(寿劇場)見物クロニクル 戦時下の寿座(寿劇場)で上演されていた歌舞伎――『鉢の…
今回の「戸板康二ノート」は、『游魚』第6号(西田書店・2019年1月20日発行)に寄稿した「句楽会ノート――二長町市村座と玄文社と句集『もずのにへ』」に遅ればせながら関連して、大正期の句楽会が戸板康二によっていかにして語られていったかについての走り…
「戸板康二の形成」のはじまりを昭和7年と位置付けて、慶應義塾文科の予科1年生となった昭和7年の戸板康二とその周辺について思いを馳せるシリーズ。 2018年2月19日付の第1回目は「昭和7年3月の歌舞伎座。十六歳の戸板康二が見た六代目菊五郎と十五代…
戸板康二は暁星中学校を経て、昭和7年4月に慶應義塾大学文学部に進学し、予科3年と本科3年、その後約半年間大学院に在籍し、昭和14年4月に明治製菓に入社した。つまり、昭和7年4月から昭和13年夏まで、6年余りの三田生活を送った。「戸板康二の形成」…
今年2017年の旧正月は津和野へ出かけた。新山口駅(小郡)から乗ったディーゼルカーのJR山口線に和みつつ、津和野へと向かったのだったが、山口県立美術館に出かけるべく山口駅で途中下車したひとときが案外にもなかなかよかったのが、ほのかによい思い出。…
戸板康二生誕百年の2015年は、十代目坂東三津五郎(2月21日)、加藤武(7月31日)、原節子(9月5日)、熊倉一雄(10月12日)らが亡くなった年となった。阪神大震災から二十年。2015年が二十三回忌の戸板康二は神戸の震災を知らずに他界したのだなあと思…
『演劇界』が2007年5月号をもっていったん休刊し、新装復刊第1号の2007年9月号(第65巻第6号)から「私のこの一冊」と銘打った読み物がはじまった。これは、「家でたのしむ歌舞伎」という見開きページの右側に書籍の紹介、左側に「テレビ・ラジオ放送ガ…
八木福次郎さんの「愛書家・思い出写真帖」と題された連載が『日本古書通信』2005年1月号(第906号)からはじまってからというもの、毎月とてもたのしみにしていたものだった。あの頃の日々が懐かしい。今からちょうど十年前になる。第1回は津田青楓、《原…
大正12年5月に上海から帰国した戸板康二がのちに、記憶に残っているもっとも古い芝居見物して回想しているのが、同年同月の新富座興行。「演劇界」昭和54年1月号(第37巻第1号)に掲載の芝木好子との「春宵歌舞伎対談」では、以下のように語っている。 ぼ…
大正12年5月20日付け「讀賣新聞」の「よみうり婦人欄 日曜クラブ 子供のページ」に、《子供に似ぬ進んだ頭の即興詩人 戸板さんのお孫さん 数日前 上海から憧れの日本へ》なる記事が載っている。 この時期の「讀賣新聞」の婦人欄では、戸板裁縫女学校の戸板…
早稲田大学演劇博物館の AV ブースへ戸板康二の音声資料を聴きに行かねばと思い続けて、幾年月、AVブースは月曜日から金曜日のみ利用可能、たまの平日休日の際は他の用事でなかなか時間がとれず、出かける機会が巡ってこないままに次第に忘れていって、幾年…
以下、昭和34年8月26日午後10時から30分間放映の「夜のプリズム」シリーズでテレビドラマ化された、戸板康二作の『尊像紛失事件』のメモ、第1回、第2回、第3回に続く、第4回メモ。やっと最終回。 □ 手元にある台本とリハーサル時に撮影されたと思われる…
以下は、昭和34年8月26日午後10時から30分間放映の「夜のプリズム」シリーズでテレビドラマ化された、戸板康二作の『尊像紛失事件』のメモ、第1回、第2回の続き。 不覚にもずいぶんひさしぶりの更新となってしまった上に、前回に記載の配役に誤記があった…
第1回の続き。ここから先は、昭和34年8月26日(水曜日)午後10時から10時半まで日本テレビで放送された戸板康二作『夜のプリズム 第三十二話 尊像紛失事件』について。リハーサル時に撮影されたと思われる計8枚のスチール写真とともに、台本と原作を交え…
江戸川乱歩の推輓により、戸板康二は「宝石」昭和33年7月号に、自身の「初」の推理小説である『車引殺人事件』を発表した。乱歩の絶妙な後押しもあり、『車引殺人事件』のあとも老優・中村雅楽を主人公とするシリーズを断続的に書き続けることになり、それ…
以下、5月14日付けの「『ベルサイユのばら』とステファン人形(前篇)」の続き、というか余滴メモ。 『ベルサイユのばら』はまず宝塚大劇場で昭和49年8月29日から9月26日まで上演、戸板康二は、昭和49年9月某日に宝塚大劇場でさっそくこれを観劇し、5年…
『演劇界』の「家で楽しむ歌舞伎 私のこの一冊」のページを毎月とてもたのしみにしている。「家で楽しむ歌舞伎」は月ごとに異なる書き手が歌舞伎にまつわる愛読書や推薦書を1冊紹介するコーナーで、新装復刊第1号の2007年9月号から最新号の2013年8月号ま…
初めて宝塚を見たのは2006年3月、東京宝塚劇場における星組公演『ベルサイユのばら フェルゼンとマリー・アントワネット編』だった。戸板康二ファンであるからには一度は宝塚を見ておかなくてはと数年来ぼんやり思っていたのと、2005年夏に初めてじっくりと…
先月中旬、2泊3日の関西遊覧に出かけた。その初日の3月15日金曜日はひさびさに休暇をとって、宝塚大劇場午後3時開演の宙組公演を観劇することができて、こんなに嬉しいことはなかった。宝塚大劇場での観劇は去年5月以来2度目だけれども、前回は新大阪…
古書展で数百円で見かけるとなんとなく買ってしまうもののひとつに、岩波の『露伴全集』の端本がある。ちっとも読みこなせていないのに、たまに買うたびにいつも拾い読みをそこそこたのしんでいるのだったが、さて先日、ずいぶんひさびさにふらっと露伴全集…
戸板康二の夫人の当世子さんが今年6月末に亡くなられたことを、さる方から教えれらたのは8月中旬だった。 5月上旬に洗足の戸板康二邸が取り壊されたことを知り、同月下旬に更地になった地所を確認にゆき、6月10日に後日の記録のために再訪、6月14日付け…
演博の長い夏休みが終わると、名実ともに秋だなアと毎年思う。と、手帖に大きく「演博」とメモしていた9月22日土曜日、わーいわーいと演博に出かけて、図書室にて懸案の資料の閲覧を済ませたあと、前日にはじまったばかりの《不滅の俳優 池部良の世界展》を…
代々木駅東口、小田急の旧本社ビル、五代目歌右衛門の邸宅の跡地を経て、藤倉電線の千駄ヶ谷工場の碑の前に立ち、戸板康二の父・山口三郎が入社した大正初年代の藤倉電線とその同時代の五代目歌右衛門に思いを馳せて胸を熱くしたところで「千駄ヶ谷」をあと…
2011年6月26日付けの『戸板康二ノート』にて、「戸板康二が幼年時代を過ごした渋谷メモ。代々木山谷と渋谷永住町。」と題して、戸板康二の渋谷時代に思いを馳せたことがあった。戸板康二の代々木山谷時代は、『回想の戦中戦後』の「うまれた町」に、 生まれ…
6月最初の土曜日の夕刻、演博の廊下で入手したチラシで、武蔵野美術大学の美術館で《大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980》(会期:5月14日~6月23日)が開催中と知ってムズムズだった……という次第で、雨降りしきる次の土曜日に…
先月にふいに、Twitter で戸板康二の旧宅の取り壊しが始まったことを知った。近所に住む方による情報であった。いつかこの日が来るとは思っていたけれども、とうとう戸板康二の家がこの世からなくなってしまったのかと胸にぽっかり大きな穴だった。初めて戸…
戸板康二が編集した藤木秀吉の遺稿集『武蔵屋本考 その他』は、一周忌の昭和15年4月28日に刊行され、藤木秀吉が蒐集にのめりこんでいた遺愛の「武蔵屋本」とともに、演博に寄贈された。 藤木秀吉著・戸板康二編『武蔵屋本考 その他』(非売品、昭和15年4月…
「日本の古本屋」にアクセスするたびにいつもなんとなく検索したりしなかったりする固有名詞がいくつかあって、そのなかのひとつに「藤木秀吉」がある。そして、不覚にも今まで知らなかった文献に遭遇したときはびっくりするあまりに、号数をメモして後日に…
先日、ふらりと立ち寄った教文館で、矢野誠一さんの新刊を発見して、ワオ! と手に取って目次に目を通すと、近年にいろいろな媒体に寄稿したエッセイ、追悼文等を編んで一冊の本になったもので、事前に刊行をまったく知らなかったので、思わぬタイミングで贈…