年譜の行間
今回の「戸板康二ノート」は、『游魚』第6号(西田書店・2019年1月20日発行)に寄稿した「句楽会ノート――二長町市村座と玄文社と句集『もずのにへ』」に遅ればせながら関連して、大正期の句楽会が戸板康二によっていかにして語られていったかについての走り…
「戸板康二の形成」のはじまりを昭和7年と位置付けて、慶應義塾文科の予科1年生となった昭和7年の戸板康二とその周辺について思いを馳せるシリーズ。 2018年2月19日付の第1回目は「昭和7年3月の歌舞伎座。十六歳の戸板康二が見た六代目菊五郎と十五代…
戸板康二は暁星中学校を経て、昭和7年4月に慶應義塾大学文学部に進学し、予科3年と本科3年、その後約半年間大学院に在籍し、昭和14年4月に明治製菓に入社した。つまり、昭和7年4月から昭和13年夏まで、6年余りの三田生活を送った。「戸板康二の形成」…
戸板康二生誕百年の2015年は、十代目坂東三津五郎(2月21日)、加藤武(7月31日)、原節子(9月5日)、熊倉一雄(10月12日)らが亡くなった年となった。阪神大震災から二十年。2015年が二十三回忌の戸板康二は神戸の震災を知らずに他界したのだなあと思…
八木福次郎さんの「愛書家・思い出写真帖」と題された連載が『日本古書通信』2005年1月号(第906号)からはじまってからというもの、毎月とてもたのしみにしていたものだった。あの頃の日々が懐かしい。今からちょうど十年前になる。第1回は津田青楓、《原…
大正12年5月に上海から帰国した戸板康二がのちに、記憶に残っているもっとも古い芝居見物して回想しているのが、同年同月の新富座興行。「演劇界」昭和54年1月号(第37巻第1号)に掲載の芝木好子との「春宵歌舞伎対談」では、以下のように語っている。 ぼ…
大正12年5月20日付け「讀賣新聞」の「よみうり婦人欄 日曜クラブ 子供のページ」に、《子供に似ぬ進んだ頭の即興詩人 戸板さんのお孫さん 数日前 上海から憧れの日本へ》なる記事が載っている。 この時期の「讀賣新聞」の婦人欄では、戸板裁縫女学校の戸板…
以下、5月14日付けの「『ベルサイユのばら』とステファン人形(前篇)」の続き、というか余滴メモ。 『ベルサイユのばら』はまず宝塚大劇場で昭和49年8月29日から9月26日まで上演、戸板康二は、昭和49年9月某日に宝塚大劇場でさっそくこれを観劇し、5年…
初めて宝塚を見たのは2006年3月、東京宝塚劇場における星組公演『ベルサイユのばら フェルゼンとマリー・アントワネット編』だった。戸板康二ファンであるからには一度は宝塚を見ておかなくてはと数年来ぼんやり思っていたのと、2005年夏に初めてじっくりと…
古書展で数百円で見かけるとなんとなく買ってしまうもののひとつに、岩波の『露伴全集』の端本がある。ちっとも読みこなせていないのに、たまに買うたびにいつも拾い読みをそこそこたのしんでいるのだったが、さて先日、ずいぶんひさびさにふらっと露伴全集…
6月最初の土曜日の夕刻、演博の廊下で入手したチラシで、武蔵野美術大学の美術館で《大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980》(会期:5月14日~6月23日)が開催中と知ってムズムズだった……という次第で、雨降りしきる次の土曜日に…
戸板康二が編集した藤木秀吉の遺稿集『武蔵屋本考 その他』は、一周忌の昭和15年4月28日に刊行され、藤木秀吉が蒐集にのめりこんでいた遺愛の「武蔵屋本」とともに、演博に寄贈された。 藤木秀吉著・戸板康二編『武蔵屋本考 その他』(非売品、昭和15年4月…
「日本の古本屋」にアクセスするたびにいつもなんとなく検索したりしなかったりする固有名詞がいくつかあって、そのなかのひとつに「藤木秀吉」がある。そして、不覚にも今まで知らなかった文献に遭遇したときはびっくりするあまりに、号数をメモして後日に…
先日、神保町シアターの高峰秀子特集で、長年の懸案だった『チョコレートと兵隊』を見ることができた。とにかくも、やっと実見できた喜びが第一。その記念に、以下、『チョコレートと兵隊』の覚書とともに、戸板康二の明治製菓宣伝部時代にちょいと思いを馳…
子どもの頃からの芝居好きだった戸板青年が新劇に出会うのは、昭和7年、慶應義塾予科に入学以降のこと。戸板青年の心をまっさきに揺さぶったのは飛行館の築地座の田村秋子だったようであるが、昭和9年に新協劇団が旗揚げされると滝沢の演技に心酔するよう…
去年9月、ハヤカワ演劇文庫で岸田國士作品集の第1集が出ているのを本屋で発見したときはとても嬉しくて、ガバッと買ってホクホクと1篇ずつじっくりよみふけった。前からそこはかとなく気になっていたハヤカワ演劇文庫を読んだのはそのときが初めて。手に…
先月講談社文芸文庫の新刊として、戸板康二の『丸本歌舞伎』が刊行された。2008年5月に犬丸治さんの編集で『思い出す顔 戸板康二メモワール選』が出て3年過ぎたところで、まさかの2冊目の戸板康二! と歓喜。水上瀧太郎、久保田万太郎、奥野信太郎、池田…
『四季の味』第26号(昭和54年7月発行)の「随筆集 日日これ好日」のページに掲載の、戸板康二の「食物との出会い」(『目の前の彼女』所収)に以下の一節がある。 慶応の予科の時、のちに朝日に入社してビルマで戦死した安田晃という独文志望の学生と親し…
先週は一週間夏休みだった。そんな灼熱の日々の折も折、戸板康二のエッセイが掲載されている『四季の味』第26号(昭和54年7月7日発行)を入手して、大喜びだった。32年前の夏の『四季の味』の表紙はまっかなお皿に乗ったスイカ! 季刊『四季の味』第26号・…
演博で開催中の《初代中村吉右衛門展》で展示されているのを見て気になった、大正11年12月に創刊された東京俳優組合事務所発行の『月刊 劇』が1冊数百円で売っていたので、図録の刊行がなさそうだし、このたびの吉右衛門展のよき記念になるかもしれぬと、軽…
昭和5年から昭和12年にかけての全日記を収録している『新派名優 喜多村緑郎日記』全3巻が、去年から今年にかけて八木書店より刊行された。これはなにがなんでも書架に収めねばならぬとすぐさま思ったものの、高価な定価ゆえ買うタイミングを逸してしまって…
昭和40年4月から昭和46年12月にかけて全350話放送されていた TBS の『ザ・ガードマン』というテレビドラマがあんまりバカバカしく、ここまでバカバカしいとかえって感動的ですらあると、ついたまに CS の放送を録画して見てしまい、そのたびに脱力すること…
先月、銀座シネパトスの小林正樹特集で『燃える秋』(昭和53年12月封切)を見た。二本立て上映で、翫右衛門主演の『いのち・ぼうにふろう』(昭和46年9月封切)の方が目当てだったのだけど、なんの予備知識もなく見ることになった『燃える秋』は戸板康二を…
いよいよ、来る7月2日(土曜日)から早稲田大学演劇博物館で《初代中村吉右衛門展》が開催される(http://www.waseda.jp/enpaku/special/2011kichiemon01.html)。会期は8月7日(日曜日)まで。約1カ月間、何度も見物に足を運ぶのは必至だーと、まだ始…
宮脇俊三著『昭和八年 澁谷驛』(PHP研究所、1995年12月)を繰っていたら、「昭和初期の時代」と題された自伝的文章の以下のくだりに、さっそく「おっ」だった。 昭和七年の四月から幼稚園に行くことになった。 その幼稚園は、私の家から五分ほど歩いた坂の…
戸板康二が古川緑波と親しくなったのは、渋谷駅前の酒場「とん平」で知り合ったのがきっかけだった。戸板さんは「とん平」を舞台にしたたのしい話をたくさん書き残しているけれども、さてさて、『あの人この人』所収の「古川緑波の冗句」にこんなくだりがあ…
今月の新橋演舞場で見た『名月八幡祭』のおさらいのようなものをするべく、とりあえず加賀山直三著『新歌舞伎の筋道』(木耳社、昭和42年9月)を繰ってみたら、これがまた、しみじみ面白いのであった。(この本は、戸板康二も愛着たっぷりに回想している、…
国会図書館にて。ちょっと時間が余ったので、朝日新聞のデータベースを検索。図書館に返してしまったので文章は引けないけれども、つい先日、中央公論社の『森銑三著作集 続』に収録の『読書日記』をホクホクと読んでいたら、昭和十年前後の朝日新聞に掲載さ…
戸板康二ダイジェスト(http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/)をほんのわずかに改装しました。新たに増えた記事はありません。全5ページだった年譜を全6ページに、大正4年の出生から明治製菓を退社する昭和18年までを、出生から三田時代(http://www.ne…
つい一週間前に、昭和15年に復刊の『春泥』第4号(おそらく最終号)の「小村雪岱号」を神保町のとある古書肆で購って、入手する日が来るなんて夢にも思っていなかったから、嬉しいを通り越して、この感謝の気持ちの持って行き場をどうすればよいのだろうと…